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小さなダオ花 24

改革加速汚職の影響
ベトナム党大会に民主の風
ベトナム 変化みえた
ベトナム留学を終えて
ヴィン君の近況
共生時代に逆行
今も思い出す母の言葉
あとがき



改革加速汚職の影響
ベトナム共産党あすから大会

ハノイで16日、18日から始まるベトナム共産党大会の巨大ポシターの前を行きかう人々=AP
【ハノイ=貝瀬秋彦】
 ベトナム共産党は、18日から25日までハノイで第10回党大会を開き、今後の政治方針や指導体制を決める。 86年から進めてきたドイモイ(刷新)政策を肯定的に総括し、党員にも私企業の経営を認めるなど改革開放路線の加速を打ち出す見通しだ。 一方で、成長の「負の遺産」とも言える汚職に対処できない現指導部の責任問題も浮上、通常は大会前に内定する幹部人事が難航する異例の事態になっている。
 5年に一度となる大会では党規約を改正し、党員に私企業経営を認める。 また、これまで「労働者階級ではない」として党員になれなかった私企業経営者も、新たに入党が認められる見通しだ。 党員の積極的な関与により経済発展をより加速させるねらいがあるとみられる。
 また、今後5年間の成長率を年7・5〜8%とし、「2010年の国内の総生産(GDP)を00年の約2倍にする」との目標も打ち出す。 同国は世界貿易機関(WTO)への早期加盟も目指しており、経済発展を最優先に位置づけた形だ。
 一方で、今大会では深刻化する汚職問題が影を落とし、新指導部人事にも影響を与えかねない情勢になっている。
 汚職や貧富の格差拡大は開放路線の負の側面として、90年代初めから歴代指導部が対処を迫られてきた。 01年に就任したノン・ドク・マイン書記長(65)も「最大の課題の一つ」と言い続けてきた。
 しかし、共産党筋によると、00年からの5年間に約8800件の汚職が発覚し、中央や地方の官僚を含む1万2千人以上が摘発された。 「表面化しない事件もあり、実際にはもっと多い」と指摘する関係者もいる。
 さらに、今年に入って運輸省を舞台にした大規模な汚職が発覚し、副大統領が逮捕され、大臣も辞任に追い込まれた。
 この事件を機に、続投とみられていたマイン書記長の指導力への批判が党内外から噴出。その進退をめぐり、事前の中央委員会で議論が繰り返されてきた。
 共産党筋によると、15日に開かれた大会直前の中央委で、マイン書紀長の続投を過半数が支持した。 しかし、書記長人事は大会で選ばれる新たな中央委員が最終的に討議して決めることになっている。 大会は汚職問題で議論が紛糾することも予想され、共産党筋は「その流れしだいで幹部人事が動く可能性もある」という。
 書記長と連動して決まる大統領、首相は、マイン書記長留任の場合の候補は挙がっているが、書記長人事しだいになりそうだ。
(朝日 新聞)@


ベトナム党大会に民主の風
書記長選びに「投票」 事前決定・来賓なし
マイン書記長

 【ハノイ=貝瀬秋彦】 18日に開幕した第10回ベトナム共産党大会は、運営が過去の大会と様変わりしている。 「影の本大会」と言われた準備会合をやめ、外国からの来賓も招かなかった。 大会を「実質的な討議と決定の場にする」(党幹部)ためだが、背景には下部組織からの民主化要求があるという。 幹部人事の難航を受けて、書記長選びでも初めて「代議員全員の意向を問う」との案が浮上している。
 過去の大会では、事前の中央委員会で政策や指導部人事を内定、直前の「準備会合」で実質的に決定していた。 外国からの来賓を招いて開催する「正式な大会」は追認とお披露目の場に過ぎなかった。
 変化をもたらしたのは年ごとに強まってきた下部組織からの「民主化要求」だという。 改革解放のドイモイ(刷新)政策から20年を迎え、「党の官僚主義への批判意識も高まり、無視できなくなった」(党幹部)。
 実際、党が2月から3月にかけて募集した大会報告案への意見は数千通に及び、党の閉鎖性など問題点を指摘する声が多かったという。
 運輸省を舞台にした汚職の発覚で地元メディアも連日、党の汚職体質や幹部の能力を問う意見を掲載。 指導部OBの長老らも大会での徹底討論を促すなど、「党と大会の改革」を求める声は日ごとに高まっている。 一連の動きは、書記長の選出方法にも波及する可能性がある。
 従来は事前の中央委で内定していたが、今回は汚職事件の影響でそれができなかった。 規約では大会で選ばれる160人の新中央委員に選出権限があるが、党幹部から「代議員全員の意向を聞く」との提案が出ている。 1176人の代議員全員が結果に拘束力のない「推薦投票」をし、それを参考に中央委が決定するとの案で、その是非も大会で論議される見通しだ。
 共産党筋によると、書記長候補にはノン・ドク・マイン現書記長(65)のほか、ホーチミン市党委員会のグエン・ミン・チェット書記(63)らの名が挙がっている。
(朝日 新聞)A


ベトナム 変化みえた
地元メディア、追及の先頭 トップ人事「次も投票を」

ハノイで25日、ノン・ドク・マイン書記長の再任を決めたベトナム共産第10回大会で党員証を頭に掲げる代議員=ロイター
  【ハノイ=柴田直治】 党大会を締めくくる記者会見でノン・ドク・マイン書記長は25日、「多数の支持で再任された」と胸を張った。 だが実際には、人事をめぐるごたごたが、一党独裁の社会主義国家では前代未聞といえるほどあらわになった。 政府や党幹部の汚職体質が深刻化している実態と、それを批判できる程度に民主化が進んでいる現実をうかがわせた。
 マイン書記長は5年の任期を無難に努め、ドイモイ(刷新)に沿った経済開放政策も内外の支持を得てきた。
 だが、1月に発覚した運輸省汚職は副大臣の逮捕、大臣の辞任に発展。 事件をきっかけに、過去5年間に約8800件の汚職が摘発され、実態はより深刻であることがクローズアップされた。
 大統領、首相、国会議長の引退が決まっていたうえ、親族の関与もうわさされたマイン氏への風当たりは一挙に強くなり、再任に対する疑問も膨らんだ。
 追及の先頭に立ったのは地元メディアだ。大会中の記者の意見でも議題と別に、汚職がらみの質問が相次いだ。 引退した元党幹部多数が執行部に厳しい注文をつけたこともメディアが取り上げた。
 大会では、トップ人事は1176人の代議員全員の投票によるべきだとの声が公然と出された。執行部は推薦投票という形で代議員の了解を何とか取り付けた。
 それでも書記長が再任されたのは、世界貿易機関(WTO)加盟交渉が大詰めを迎えていることや、 11月にアジア太平洋経済協力会議(APEC)の開催を控えていることから、執行部を総入れ替えするリスクを避けたかったためだ。
 特権階級とされる党員のなかでも、書記長を選ぶ160人の中央委員はエリート。性急な改革や党の秩序を崩すメリットを感じなかったといえる。
 マイン氏の対抗馬と目されたチェット・ホーチミン市長は南部の出。過去南出身者がトップに上り詰めたことはなく、 北出身者が優勢な党官領内には、抵抗があったとも指摘される。
 推薦投票をへた今回の決着を「ガス抜き」と見る向きもあるが、最終日の議論でも次回の投票を求める声が出た。 中央委員の選挙では、初の自薦候補を含め定数を3割上回る候補が立った。大会の報告案には数千通の意見が寄せられた。
 党運営に透明性を求める動きを後戻りさせるのは容易でないだろう。

 共産党大会が閉幕
 第10回ベトナム共産党大会は25日、ノン・ドク・マイン現書記長(65)の再任や14人の政治局員を発表、 私企業経営者にも入党を認めるなどの規約を改正して閉幕した。政治局員は当初15〜17人を予定していたが、中央委員会の信任を得られない候補者が出たという。
 政治局員には、次期首相が内定しているグエン・タン・ズン第1副首相(56)、 グエン・ミン・チェット・ホーチミン市党委員会書記(63)らのほか、レ・ホン・アイン公安相(57)が選ばれた。 (ハノイ)
(朝日 新聞)B


ベトナム留学を終えて
鷹尾伏 恵

 「タウフ〜タウフ〜」
 朝、6時。天秤棒を担いだおばちゃんの美しい歌声が路地に響き渡る。眠い目をこすりながら、 2000ドン札を握り締め外に出る。おばちゃんが笑顔で迎えてくれ、湯気が立ち上るお鍋の中から熱々のお豆腐を掬い上げ、 その上にココナッツ、生姜のソースをかけて、私に手渡してくれる。ほんのりと甘いお豆腐、朝の体にじわ〜としみ込む。
路地での写真…朝食は屋台で!
 ベトナム、特にホーチミン市は朝から晩まで賑やかな街である。朝は5,6時には公園にたくさんの人が集まりウォーキングをしたり、 太極拳をしたり、バトミントンをしたりして体をうごかす。運動が終わると、道端に並んでいる屋台で、サンドウィッチや麺類といった朝食をとり、 女の人は市場に行き、市場のおばちゃんと今日はこの野菜が新鮮で美味しいといった話から始まり、最近起こった出来事についてなどたちまち井戸端会議が始まる。 男の人は、新聞を片手に、道を行き交うバイクの波を眺めつつ、コーヒーを飲みながら一休み。4時を過ぎると、路地は子どもたちの声で溢れる。 ゴム跳びをする子供。お母さんからもらった小遣いを握り締め、おやつを買いに行く子供。夜、恋人達はカフェで、 今日一日の出来事を恋人と語り合い、家族は子供をバイクに乗せ、夕涼みに出かける。私には彼らが日本よりもずっと人間らしい生活を営んでいるように思える。
 私はこの活気溢れる街で一年間を過ごした。最初は外国人で目立つということもあり、道を歩いているだけで、 色々な人に声を掛けられて戸惑った。どこに行くんだ?という質問から始まり、兄弟は何人か?お父さんは何の仕事をしている?最後は決まって、 恋人はいるかと聞かれ、いないと答えるとベトナムの彼氏を紹介してやろう、で話は終わる。 質問攻めにあい、大学に遅刻することもしばしば・・・・ベトナム人は時々度がすぎることもあるが、人と人との距離が日本よりもずっと近い。
 日本では町の中を歩いていても誰も話しかけてくれない。バイクタクシーのおじさんもいない。子供の声、物売りの声もしない。
 寂しい・・・・ベトナムが恋しくてたまらない。一年間のベトナム留学を経て、私はベトナム人になってしまったのかもしれない。

 〔25号から、当団体スタッフやボランティアによるベトナム留学記を掲載しています。今回はホーチミン市での1年間の留学を終えて、今年3月に帰国したばかりの鷹尾伏さんの手記をご紹介します。〕
(NGOヴィエトニュース)C


ヴィン君の近況
卒業式の写真です
 こんにちは、ヴィンです。皆様如何お過ごしでいらっしゃいますか?
 冬も過ぎ去り、この春僕は新しい出発をしました。学校は去年、移転を機に育英工業高等専門学校からサレジオ工業高等専門学校に改名いたしました。 そして、今年3月に卒業し、新潟の長岡市にある日本精機株式会社に入社いたしました。 仕事は車関係のメーターに携わっています。
 今、僕が行っている教会はフランシスコ会が経営しています。教会の人たちも皆やさしい信者さんばかりです。会社の方は現在研修中で毎日が勉強です。 どこへ行っても勉強です。本当に毎日が充実しています。
 今の僕が、一人の社会人として自立できましたのは「こひつじ会」の皆様、シスターたちをはじめ工専の先生たち、沢山の方々の支援や励ましの言葉があったからです。 今の仕事を通して僕も、何時の日か支援できる立場にたって働きたいと思っています。
 今まで本当に有難うございました。そしてこれからもどうか見守ってください。 有難うございました。  
グエン・タン・ヴィン


共生時代に逆行
入管難民法改正案 元入管局長が異議
膨大な新業務 「本来審査もおざなりに」

 衆院をわずか二週間で通過し、参院で審議中の入管難民改正法案。 外国人入国者への指紋押なつ制度導入が柱だが、運用のトップにいた東京入国管理局の元局長が「法案を再考すべきだ」と異議を唱えている。 元局長は「日本はすでに移民社会だ」と説く。 (田原拓治) 


 「法案は当人確認のための指紋情報を捜査機関に提供できるなど、外国人を犯罪者とみる傾向を助長する。彼らと共生するしかない日本の未来にマイナスだ」
 財団法人・日韓文化協会の水上洋一郎理事長はこう語る。「テロ対策が主眼というが、テロリストの指紋情報を持たない現状で照合などできるのか」
 水上氏は一九七一年法務省入省後、二〇〇二年三月に東京入国管理局長を定年退職するまで、入管行政一筋に生きてきた。
 法務省は「不法滞在外国人の増加、それを温床とする外国人犯罪の激増」(同省ホームページ)などと強調している。 これがテロ対策とともに、入管難民法改正の理由になっている。
「日本はすでに移民社会になっている」」と 話す水上洋一郎・元東京入国管理局長 東京都渋谷区で
 これに対し、水上氏は「不法滞在が必ず犯罪の温床になるのだろうか」と疑問を呈した上で、 「正規入国のスリ団もいる。日本は韓国や欧米に比べ、不法滞在者は多くない。 不法滞在そのものの摘発件数を犯罪件数から除くと、日本人よりも外国人の犯罪率が高いとも言えないはず」と冷静な見方をうながす。
 改正後は、入管の出先では、年間約七百万人の外国人入国者の写真や指紋を処理することになる。業務を現場でこなせるのか。
 米国でほぼ同じシステムを導入後、入国目的の尋問などがおろそかになったという指摘もある。 水上氏も「入管業務には滞在の期間更新などもあり、約十年前から、土日に出勤して仕事をしている忙しさだ。 効果のない新業務が加われば、他のサービスや本来の審査がおざなりになりかねない」と懸念する。

 テロ対策の現状「米国頼み疑問」
 それでも長年「官」の側、それもトップにいた同氏が政府の改正案に反対することは意外に思える。
 「外国人問題で入管は常に矢面に立たされる。現場にいて、相手側から教えてもらったことも少なくない」と水上氏は振り返る。
 「インドシナ難民問題を抱えて三十年たつが、日本生まれの二世が外国人を理由にアルバイト申し込みの電話を切られる。 日系人を受け入れて十五年、今も教育、住宅など総合的な対策が打ち出されていない。 指紋押なつもようやくなくなった。在日の特別永住者は今回は対象外だが、彼らの強い反発から学ばず、簡単に復活させようとする」
 日本の在留外国人は人口の2%弱。年間三万人以上が国際結婚し、子どもは日本国籍を持つ。 十二万人の研修生、技能実習生が事実上、カツオの一本釣り船員など、日本の産業構造のいびつさを補っている。
 「すでに日本は好むと好まざるを問わず、移民社会だ。高齢化社会の中でフィリピン人看護師の導入も決まった。 そこで外国人を単なる労働力や管理の対象とみることは、共生時代に逆行することになる。」
 ただテロ防止のかけ声は高い。水上氏もテロ対策は大切とみるが、現在の方向には疑問を呈している。
 「テロ対策というが、日本の情報収集能力は弱く、米国頼み。それに米国と日本は置かれている立場が違う。米国標準をそのまま適用するのは危険。 先ずは独自の情報収集能力を鍛えるべきだ。指紋採取も必要ならば、英国のように国民全員にも課すのが筋だ」
 さらにこう付け加えた。
 「日系人を含む在留外国人の九割以上がアジア人。隣人としての外国人がいながら、よく見ず、見ようともしない。 時代は私たちに外国人を社会の一員と認める覚悟を求めている。」


 入管難民法改正案
 16歳未満と、戦前から日本に暮らす在日コリアンら特別永住者や外交官などを除く全外国人に入国、再入国の際、 指紋と顔写真の提出を義務づける。テロの「予備行為、または実行を容易にする行為を行うおそれがあると認める相当の理由を持つ者」を強制退去できる法相権限、 収集した指紋や顔写真を犯罪捜査に流用できることも新設される。
(東京 新聞)D


今も思い出す母の言葉

 私がベトナムを出たのは20歳のときでした。他のベトナム難民と同じように国の体制にいろいろと不満があったからです。
 1989年4月10、兄と一緒に108人の人たちと小さな船に乗って海へ逃げました。私はずっと船から外を見ていました。 大好きだったニャチャンの海岸がだんだん小さくなって見えなくなると、涙がたくさん出てきました。 しばらくすると、乗っている人たちのほとんどが、船酔いで気持ちが悪くなり疲れていきました。 周りは見渡すかぎり全くの海、海、夕暮れ時や特に雨が降りそうな時の海や空の灰色の情景が、死をイメージさせ、とても怖かったです。 今思い出しても恐怖でいっぱいのはずでしたが、不思議なことに私はその時、自分が死ぬかもしれないとは考えませんでした。 目を閉じるといつも瞼に家を出るときの父の心配そうな顔や母の涙が思い浮かびました。
 漂流して5日目の明け方「パナマ」という名前の大きな船が現れて、私たちを助けてくれました。 その時のうれしさは今でも忘れられません。「パナマ」は私たちをフィリピンに連れて行ってくれました。 こうしてフィリピン難民キャンプで難民生活が始まりました。 家からもって出た荷物はフィリピンに着くまえに全部失くしており、お金もなくて、ここでの生活はとても苦しく大変なものでした。 ベトナムの家族のことが思い出され、会いたくて、会いたくてたまりませんでした。「あなたたちは自分の将来のためにこの国を出なさい。 いつでも、どこにいても頑張るように―」あわただしい別れのとき母が贈ってくれた言葉です。 この言葉に支えられ、キャンプでの辛い生活やさびしさにも耐えることができました。
 1990年2月28日、私たちはやっと日本に来ることができました。日本に先に来ていたベトナム人、 数人から生活が苦しいとか大変だという言葉を聞きましたが、フィリピンキャンプに比べたら天国だと思いました。 自分の将来や家族のために頑張らなければならないということは、どこにいても同じなのだと自分に言い聞かせました。
 最初は長崎の大村難民一時レセプションセンターに2か月半いて、その後日本語を勉強するために品川の国際救援センターに移りました。 救援センターでは日本語と日本の生活習慣を勉強しました。先生方は一生懸命私たちに教えてくださいました。 そのお陰で日本での生活が始まったときには、自信を持ってスタートすることができました。 新しい社会に入るために勉強することの大切さがよくわかりました。
 その後私はセンターの紹介で電気製品の部品製造の会社で働き始めました。 そして、3年後に同じ国の人と知り合い結婚しました。私たちには、他の人と同じように幸せな家庭をつくりたいという夢がありました。 二人で頑張って働き、努力してきました。今では、3人の子どもに恵まれ、安定した生活を送っています。 いつもお世話になった皆さんに感謝しながら、ベトナムを出るときの母の言葉を胸に、幸せに暮らしています。
ファム・ボー・ホン・タオ



資料:
 @朝日新聞2006年4月17日 
 A朝日新聞2006年4月19日 
 B朝日新聞2006年4月26日
 C東京新聞2006年5月14日
 D「定住新聞 こんにちは」30号  


あとがき

 現在(2006年6月)、サッカーのワールドカップが開催中です。この大会で、日本代表は涙をのみました。 盛り上がる報道合戦の中、カレンダーをにらみ、生活をやりくりし、夜半に応援の声をからした方も多かったのではないでしょうか。 私自身は、あまりスポーツ全般に関心がないほうなので、中継を見ることもなく、インターネットのサイトで確認することもありませんでしたが、 それでも、日本代表の予想以上の苦戦に、何とも苦い思いを抱いたり、かすかな望みをかけたりしたものです。
 無念の結果に終わったサッカー日本代表。しかし、選手たちが与えてくれるのは勝利の際の喜びだけではないことを、 改めて考えさせられる機会でもありました。スポーツ報道では当然のことではありますが、試合直後、インタビューを求められます。 そのとき、決して取り乱すことなく、ごまかすことのない選手たちの姿は、白熱した試合にも負けないくらいの強いインパクトがありました。 もっとイライラしてもおかしくないんじゃないか、ふてくされてもいいんじゃないかと思える状況下で、試合全体を、 そして自分自身をまっすぐに見つめ、それを短い言葉でまとめ切る潔さ。その姿は、真摯さの極みともいえる態度であると感じました。 この真摯さに触れたくて、人は、スポーツを観戦するのかもしれません。
 話はかわりますが、今号掲載の通り、報道によれば、2006年4月開催のベトナム共産党党大会において「民主の風」が吹いたとのことです。 「政府や党幹部の汚職体質」が「前代未聞といえるほどあらわに」なったが、その一方で、 「それを批判できる程度に民主化が進んでいる」こともまた示された、というのです。このベトナム政界における新しい「風」について、 心から歓迎したいと思います。私たちが、スポーツ界では常に求め、しかし政界ではとても期待できないと常にあきらめている「真摯さ」が、 今、ほかならぬベトナムにおいて、芽吹き始めているらしいのです。久々に、いくらか希望のあるニュースに接したと感じました。
 かたや日本に関しては、村上ファンドのインサイダー取引事件、 その村上ファンドへの日銀福井総裁による投資問題などが報道されています。「真摯な姿勢」を根絶やしにしないためには、いったいどうすればいいのでしょうか。 スポーツ選手に倣って、自分を見つめ、社会も見つめ続けていきたいと思います。 
(山本直美)

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