BACK
小さなダオ花 16

わたしの一番
FTA、強い期待
詩の中に信仰を生きる
被害者生活体験に一歩
京都思わず赤瓦の家並み
難民認定の「公平さ」確保を
あとがき



わたしの一番
アオザイ 世界唯一のオリジナル
女優 笹本玲奈さん(19)

 世界に一つだけのオリジナル服、西新宿のアオザイ専門店からいただいた。 ベトナム戦争を背景にした舞台「ミス・サイゴン」のヒロイン役「キム」が決まった後、宣伝用に着るアオザイを買いに訪れた、 「ミス・サイゴン」に出ることに感激したベトナム人女性オーナーが、私のためにデザインしてくれた。 薄いブルーの生地にハスの刺繍入り。アオザイには、ベトナムという国や人のいろんな思いがつまっている。
 小学校6年生の時に5代目「ピーターパン」に抜擢された。榊原郁恵さんらが演じてきた大役。 約1万3500人の中から選ばれた。5年間で全149公演を一人で務め上げた。10代女優としては日本ミュージカルの最高記録だ。
 母親は宝塚出身。小さな頃からいろんなお芝居を見に連れて行ってもらった。 「向こう側の世界」を意識したのは小学3年の時。「アニー」を見て、「あの場所に立ちたい」と思った。ダンスを習い始めたのもこのころだ。
 だが、長期間続いたピーターパンが終わり、将来の選択を迫られた。 舞台に立ちたい気持ちはより強くなったが、先の仕事は何も決まっていなかった。 母と同じ宝塚を目指すのか、新聞で目にしたヴィクトル・ユーゴーの「レ・ミゼラブル」のオーディションを受けるのかー。 悩んだ末、より倍率が厳しい「レ・ミゼラブル」にすべてをかけた。そして合格した。
 その後は「イーストウィックの魔女たち」「屋根の上のヴァイオリン弾き」と著名な舞台に出る。 東宝からは「彼女はまさに『シンデレラ』といわれるほど、大役に恵まれてきた。その間、テレビの仕事も経験したが、舞台により惹かれていく。 「失敗が許されない怖い世界だが、演じた直後にお客さんの反応がじかに伝わってくるのがたまらない。舞台で生きて舞台で死にたい」
 そして昨年末。「ミス・サイゴン」のキム役に選ばれる。戦争で家族を失い娼婦となったベトナム人キムと米兵の悲恋を描いた物語。 公演は8月から11月末まで、ヒロイン役を交代しながら続く。 「ミス・サイゴン」の初演は92年4月から1年半上演された。実物大のヘリコプターが登場する舞台セットや歌手本田美奈子さんがキムを演じたことなどでも知られている。
 ベトナム戦争の時に、私はまだ生まれてなく、初演の時は7歳だった。12年ぶりに再演される時に、私がこの世界にいた。キムも同じ年頃。運命的なものを感じた」

 ベトナム戦争のドキュメンタリー番組を見た。稽古場にある当時の写真集やビデオも見た。似たようなことがほかの国で起きている。 「今と一緒じゃん」。怒りで震えた。 どんな理由であれ、戦争はよくない。キム役を通じてそう感じている。 お客さんが1人でも何かを感じてくれれば、それが幸せです。
文・小西宏幸
写真・葛谷晋吾
(朝日 新聞)@


FTA、強い期待
ベトナム国境の利生かし
中国・広西チワン自治区

 中国と東南アジア諸国連合(ASEAN)が自由貿易協定(FTA)交渉を進めるなかで、中国の中でも経済発展が遅れてきた広西チワン族自治区の期待が高まっている。 ベトナムと国境を接する地の利を生かして経済・物流拠点として地域振興を進めようとの思惑からだ。 日本貿易振興機構(JETRO)の視察団と同自治区の南寧、坊城港、東興を訪れた。
(香港=三木一哉)
 今月3〜6日に南寧で大規模な国際商談会「中国ASEAN博覧会」が開かれた。 温家宝首相が昨年10月のASEAN10カ国首脳との」会談でFTA促進の一環として提案した催しだ。
 中国からは呉儀副首相、薄熙来商務相らが出席、ミャンマー、ラオス、カンボジアは首相を送り込み、双方の期待の高さをうかがわせた。
 南寧にはインドネシアやタイなど東南アジア企業の誘致を狙った開発区が設けられ、工場の進出も始まった。 博覧会に出展したベトナム貿易促進公社のグエン・タン・チュンさんは「我々も門戸を開かなくては強くなれない。 FTAは脅威でもあるし、中国市場という大きな機会を得ることでもある」と話す。
 ベトナム国境の町、東興には昨年、浙江省の民営企業家が投資した巨大な見本市会場「東興義烏商品展覧センター」が建設された。 人口11万人の町で国境貿易に従事する住民は1万人を超す。漢字とベトナム語を併記した看板が目立つ。
 国境沿いの4.07平方`の地区が辺境経済技術区に指定され、広範な免税や輸出入手続きの簡略化の優遇措置を受けている。 地元住民は1日1人3千元(約4万円)以内の商品なら隣のベトナム・モンカイとの間を相互に免税で持ち込める。
   東南アジアとの貿易や投資では周囲の広東省や福建省が先行してきた。 同地区はFTAを機に挽回を狙う、だが、共産党東興市委員会の謝紹憲さんは「東興を実験的なミニ自由貿易区に指定するように求めたが、中央政府は認めなかった」という。 中国政府は同自治区にとどまらず、全土を自由貿易区にする意向とみられている。
 謝さんは「我々は地理的優位性を武器に発展しなくてはならない」という。町には杭州や湖南の地名を冠した食堂やホテルが建ち、地方の企業化が集まりはじめた。 ただ、ベトナム側から中国側への入境者数は1日千人程度にとどまり。中国からベトナムに入る4分の1だ。まだ経済交流の恩恵がどこまで広がるかは読めない面もあるという。
(朝日 新聞)A


詩の中に信仰を生きる
白河教会のベトナム人姉弟
ロアンさんとチュオン君

福島県白河市に住むベトナム人姉弟の作る詩が、詩の教室の指導教師や白河教会の関係者たちからちょっとした評判になっている。
ロンさん一家。左端がロアンさん、後ろ右がチュオン君
 この姉弟は白河教会所属のヴィ・キム・ロアンさん(小学五年)と弟のチュオン君(小学四年)。 ベトナム難民として来日したヴィ・ビン・ロンさん(47)と、妻のグエン。キム・ディエップさんの子どもで、下にもう一人、小学二年のキェム君がいる。
 父のロンさんは25歳の時に弟妹二人と自由を求めてベトナムを脱出、ボート・ピープルとして日本に来た。 定住するまで苦労を重ね、十五年ほど兵庫・姫路で旋盤工をしていた。 しかし、工場の勤務は残業が多く、三人の子どもたちの信仰教育に十分な時間が取れないことから会社を辞め、五年前に白河市に移ってきた。 知人の塩田希神父(イエスの小さい兄弟会)の紹介で、栃木県那須の厳律シトー会(女子トラピスチン)に就職し、 現在、修道院の田畑や森林の管理などに汗を流している。
 ロアンさんとチュオン君が詩の世界に触れたのは、今から二年前。 子育てが一段落した母親のディエップさんが日本語をもっと勉強したいと、白河市内で文化教室を主宰する財団法人「立教志塾」の教師についたことがきっかけだった。
 同塾で「詩心(しごころ)教室」を指導する元小学校校長の斉藤哲夫さんは二人の子どもの作る詩を見て驚き、同塾の発行する「詩心教室の詩集」に掲載した。
 『せかいで生きる』と題したチュオン君の詩を見た斉藤さんは、「寡黙なチュオン君が、下書きの小さな紙に書いてきたとき、私は思わずハッと彼の顔を見つめました。 "二年生の児童に、このような発想・考えがあるのだろうか"という驚きのコメントを同「詩集」に寄せた。
 またロンさん親子が所属する白河教会主任の高橋昌神父(仙台教区)はロアンさんの詩を教会報「あけの星」の六月号に紹介した。
 「宗教教育で一番大切なことは家の全体の宗教的雰囲気です。祈りができる雰囲気をつくることが大切です(略)。 ロアンちゃんの『神様はいつもそばにいる』を読んでこの家庭は、 子どもたちに信仰を伝えていると思いました」と同神父は、信仰を伝えるためにこの詩をじっくり味わってみることを、教会の信徒たちにも勧めている。
 ロンさんと親交のある塩田神父は、「チュオン君の『せかいで生きる』という詩について、 『僕は日本に生まれた』とか『アメリカで生まれた』と言わずに、『せかいで生まれた』言い切っている。 この詩を書いた時チュオン君は小学二年生だったと聞いていますが、この詩には何か国籍を超越した思想が感じたれます」と驚いている。
 神様はいつもそばにいる   ヴィ・キム・ロアン
神様はどんなときも わたしのそばにいる。 たとえわたしが遊んでいるときも わたしを見ている。 わるいことをしても神様はわかるはず。 神様はわたしたちの身がわりになって十字かにつけられた。  前だって公文に行くときに じてんしゃを走らせているとき とつぜん車が「どん!」と、ぶつかってきた。 すごくこわかった。でも幸いなことにけがはなかった。車はさっと行ってしまった。きっと神様が守ってくれたのだ。 でもこんどは自分で気をつけよう。 神様守ってくれてありがとう。ほんとうにありがとう。 夜になってわたしは神様に感謝する。「神様、いつもわたしを守ってくだい。」わたしはそういって十字かをにぎる。わたしは天使も神様も大すきだ。

 せかいで生きる   ヴィ・ビン・チュオン
 せかいには、くにのなまえがいっぱいある。ぼくはそのせかいから生まれた。 みんなも このせかいから生まれた。 このせかいはすごい。ぼくは このせかいで生きる。
(カトリック新聞)B


被害者 生活再建に一歩
カンボジアの「互助の村」

 「戦闘では、危険を感じれば、身を隠せた。地雷はどこに埋まっているか分からない。今も怖い」
 カンボジア内戦中、旧ポルポト兵だったアイ・ジョンさん(42)は89年、魚を取りにいった川岸で地雷を踏み、左ひざ下を失った。 「今は簡単な作業しか出来ない。家族に申し訳ない」とうなだれた。
 カンボジア北西部ポーサット州ブレムイ。タイ国境に通じる国道5号が貫く同村は内戦末期、敗走する旧ポルポト軍、追う政府軍が入り乱れて地雷を敷設した。
 内戦終結後、新政府発足を経て、95年から同州には、首相直轄のカンボジア地雷対策センター(CMAC)の第5除去部隊が展開する。 担当する地雷原は計105地域、約6,700ヘクタール。 草木を刈り、探知機を当て、15センチずつ前進。1日8時間、延々と作業を繰り返す。昨年1年間の処理面積は109ヘクタールだった。
 全土に埋まる地雷は600万個と推定される。「完全除去に100年は必要だ。私はむしろ2012年までに死傷者ゼロを目指す」。 ヘン・ラタナ・CMAC副長官の表情は厳しい。地雷・不発弾の死傷者は昨年845人。今年は半年で433人と増加傾向にある。
 プノンペンの南130キロ、コンポスプー州の高台に「ビルトム村」が出来て4年目を迎えた。 現在、13州からの地雷被害者とその家族計227世帯が暮らす。被害者と家族たちが互助を目指す新しい試みだ。
 主宰する非政府組織(NPO)「障害者救済協会」のサム・カーン事務局長は「地雷の被害者は長く肉体・精神面の苦痛を抱えてきた。 でも、働く場さえ得れば、家族や将来のことを考えるようになる」と説明する。 地主の好意で提供された草原は2,000ヘクタール。1家族150アールが割り当てられ、コメや野菜を自給自足している。
 その一人、ジェイ・ソックさん(58)も元ポル・ポト兵だ。81年、タイ国境の林道で行軍の先頭にいて地雷を踏み、左足を失った。 「除隊したら家族も村で差別された」。約200キロ西のコッコ―ン州からたどり着いて2年目。「今は子どもに残せる土地がある。とても幸せだ」。笑顔を見せた。
 ここ数年の特徴は、不発弾による被害者が53%(今年前半)と、地雷を上回っていることだ。弾に含まれるアルミや銅は、鉄の10倍以上の価格で売れる。 犠牲者の多くは、小遣い稼ぎに不発弾を集めようとした子供だ。貧困が地雷・不発弾問題の負と連鎖をなす。
ビルトム村で竹之内満、写真も】
(毎日 新聞)C


京都思わす赤瓦の家並み
日本−ベトナム交流の街

 「海のシルクロード」は生きているーベトナムの世界遺産ホイアンは、そう感じさせてくれる街だ。 アジア貿易の拠点港として長い歴史を持ち、17世紀には日本人町があった。今日では日本が修復保存に協力する日越交流の象徴でもある。 国交樹立30年の今年、ここで国際シンボジゥームが開かれた。ホイアンの今を2回にわたって報告する。
(中村俊介)

 トゥボン川に並行する、チャンフー、グエンタイホック、バクダンの三つの通り。 19世紀から生き抜いてきた赤瓦の木造建築郡450軒が肩を寄せ合うように連なる。 修復を終えて「貿易陶磁博物館」に生まれ変わったチャンフー80番という家に入ってみた。間口が狭く奥行きが深い「ウナギの寝床」。 京都の町家にそっくりだ。展示室には中国やベトナムの陶磁器、そして日本の備前磁器が並び、かつての栄華を物語っていた。
 90年、ホイアンの街並みは、いにしえの貿易港の面影をよく残すとして世界文化遺産に登録された。 特徴は今なお人々が暮らす「活気あふれる遺産」であること。が、アジア特有の木造建築をむしばむ高温多湿やシロアリの害、生活による劣化…。 そんな脆弱な「遺産」をどう守っていくか、9月13日〜15日のシンポは、いくつもの課題を突きつけた。
 「『まず雨漏りを止めてくれ』と言われたほど、どこから手をつけたらいいかわからないぐらいの状態だった」
 木造建築の修復に実績を持つ日本へのベトナム政府の要請を受け、93年、文化庁を通じて保存協力を本格スタートさせた昭和女子大国際文化研究所の友田博通教授は、そう振り返る。
 多くの家では瓦がずり落ちて草が生え、床は抜け、階段は崩れていた。 実測を行いながら、腐りかけた部材を取り替えたり、後世の無駄な増築部分をのぞいたりした。全面解体して修復したものもある。 本来の部材をなるべく残すために特殊な溶液で柱を固めて補強もした。その後、10軒以上、屋根の葺き替えだけでも50軒以上にのぼる。
 地道な修復活動でよみがえったかに見える街並みだが、ホイアン遺跡管理事務所のチャン・アインさんは「今も劣化は続いており、近代的な生活環境への変化にも頭を痛めている。 その対処はベトナム人自らがやらなければならない」といい、必要なのは現地での早急な人材育成だと訴えた。
 一方、世界遺産登録にともなう急激な観光化も大きな課題だ。 「世界遺産観光は主力産業。投資誘致への武器だ」(ホイアンのあるクアンナム省関係者)という声の一方で、 千葉大の福川裕一教授が「道端で人々がくつろいでいるといった魅力がなくなった」と語ったように、一時は無秩序にお土産店や食堂があふれ、景観を台無しにした。 市当局は商品のあふれ出し禁止条例などをつくり、規制した。
 豊かな生活を求めるホイアンの人々にとって、世界遺産への登録は観光客の増大など歓迎すべきものであると同時に、数々の制約を加える両刃なのだ。
 「文化財保存、居住環境、経済活動の三つが協調する道を見つけてゆかなくてはならない。 へたをすればつぶし合うことになる」と福川さん。 今回参加した滋賀県近江八幡市の川端兵衛市長は、観光など目先のニーズに惑わされず、ここで死にたいなと思わせる「"死にがい"のある町をつくって」と訴える。 近江八幡は、17世紀にベトナムに渡り、かの地で没した商人が輩出したとの伝承を持つ。
 観光と保存の両立。途上国の世界遺産が抱くこの難題を解くのは、住民の町を思う気持ちしかない。 生活と喧騒に満ちた小道で、鳥形の土笛を買ってくれ、と外国人にせがむ少年を見ながら、ふと思った。
(朝日 新聞)D


難民認定の「公正さ」確保
参議院議員・遠山清彦

 政府は今年の通常国会に難民認定法の改正案を出している。 この法律が適用されるのは、母国での迫害から逃れ、難民条約締約国・日本に庇護を求めてくる人々だ。この人々の立場に立ち、私見を述べたい。
 改正ポイントは二つある。一つは、いわゆる」「60日ルール」と呼ばれてきた申請期間を撤廃したことだ。 申請期限の超過のみを理由として難民申請者を不認定とすることについては批判があり、一応それに対応した形になっている。
 しかし、改正案を読むと、申請者は(日本上陸後)6ヶ月以内に申請するかしないかで、 滞在中の処遇に大きな差が出るような仕組みになっており、実態上の期限は延長されて残っていると思える。 真の難民は、いつどこで申請しようが難民であり、庇護を受ける権利がある。そもそも難民条約は申請期間について一切規定していない。 法制度上何らかの期限を設けざるを得ないのかもしれないが、法務省には難民救済が人道的作業であるとう原点を忘れず、柔軟かつ公正な運用を望みたい。
 二つ目のポイントは、現行法では「不法滞在」の状態で収容の可能性がある難民申請者に「仮滞在」という法的地位を与え、 審査結果が出るまでの間、退去強制手続きを停止することである。 国連人種差別撤廃委員会は01年に「すべての難民申請者がとくに十分な生活水準および医療についての権利を有するよう確保すること」を日本政府に勧告しており、 その意味でこの改正は基本的に歓迎できる。
 ただし、気になるのは、仮滞在がすべての難民申請者に許可されるとは限らないとされている点である。 法務省は「仮滞在を不許可とした者でも、結果がでるまで送還しない」としているが、 仮滞在を許可する条件に第三国を経由せず直接日本に来たことなどが含まれていることには、疑問が残る。
 制度の乱用防止が重要なことは理解する。だが、難民かどうかの審査もしていない段階で政府が恣意的な判断で申請者を差別することはが、果たして妥当だろうか。 この点については、国会で真剣に議論していかねばならない。
 最後に、今回の改正で欠落している重要な問題を指摘しておきたい。「不服申し立て制度」の見直しだ。
 難民支援関係者の多くは、1次審査も不服申し立て審査も法務省入国管理局が行っている現状に対し、見直しを要求している。 認定手続きの公正さを確保するためには、不服申し立て案件の審査は行政から独立した機関がおこなうべきだというのが、その主な理由である。
 難民支援関係者の多くは、1次審査も不服申し立て審査も法務省入国管理局が行っている現状に対し、見直しを要求している。認定手続きの公正さを確保するためには、 不服申し立て案件の審査は行政から独立した機関がおこなうべきだというのが、その主な理由である。
 私は昨年ニュージーランドを訪れ、そのような不服申し立て条件を審査する「難民の地位控訴局」(RSAA)という第三者機関を現地調査した。 この機関は政府の財政支援を受けているが、1次審査を行う政府部局との人事交流は一切なく、難民かどうかの判断も完全に行政から独立して行っていた。 そのため内外でニュージーランドの認定制度に対する信頼は極めて高く、 結果として乱用も起こりにくくなっているという印象を受けた。
 法務省は法相の私的諮問機関などを軸に、今後もこの点の見直しを検討していくというが、諸外国の例も大いに参考にし、制度の信頼性を高める改善策を提示すべきである。
 脱北者の問題を出すまでもなく、もはや日本は難民問題を傍観することは許されない。政治家も、官僚も、そして国民も、真剣にこの問題に取り組む時代に入っている。
=公明党難民問題対策プロジェクト事務局長 
(毎日 新聞)E


お知らせ

 本誌の内容は、以前から「WEB 奉仕サークル Holy Ring」の場を借りて、 ホームページ(HP)において公開しております。 この度、支援者のご尽力により、HPのリニューアルを行うことができました。 皆様も、この機会に是非ご覧ください。
 http://www.dao.catholic.ne.jp

資料
@ 朝日新聞2004年11月7日
A 朝日新聞2004年11月25日
B カトリック新聞 第3775号
C 毎日新聞2003年9月18日
D 朝日新聞2003年10月1日
E 毎日新聞2003年4月6日


あとがき

 最近、お金にまつわる事件が目立っています。偽五百円硬貨。偽一万円札。そして水路に捨てられた千数百万円もの紙幣。 「もっと落ちているのでは?」と探しに行きたくなるのは人情というもの。でも、こうした関心は、やはり筋違いでしょう。 グリム童話を下敷きにしたミヒャエル・エンデ『ハーメルンの死の舞踏』(朝日新聞社、1993年)という物語をご存じでしょうか。 これをヒントに、今少しお金の問題を考えたいと思います。
 ハーメルンの人々のたっての願いを受け、行きずりの笛吹き男は、ネズミどもを川へとおびきだして退治しました。 しかし、いざ完了してみると、人々は、与えると約束した報酬が惜しくなり、口実を弄し始めました。 すると笛吹き男は、さらなるメロディーを奏で、なんと町中の子供たちをさらっていってしまいました。これが元のお話です。
 他方エンデの物語では、ハーメルンの裕福なお偉がたと貧しい民衆とがはっきり区別されます。 民衆は、ネズミに、汚水に、ひもじさに、死に、あえいでいました。 他方お偉がたは、贅沢な衣食住を満喫し、それを享受し続けるために、地下深い「聖堂」で「金ひり怪物」たるものを崇拝していました。 この怪物とは、「聖櫃」の中でゆっくりと回転し続け、尻が前に回ってくる度に、 お偉がたに対してなんと金貨一枚をひり出し、代わりに分身である泥ネズミを地上に放ってこの世の生命を一個ずつ破壊する、という獣でした。 お偉がたは、こうして得た金貨によって着飾り、さらに民衆に施しを行い、満足感を募らせていました。 ある時、お偉がたは、民衆のたっての願いに直面し、行きずりの笛吹き男にネズミ退治を依頼します。 笛吹き男はそれをやり遂げます。しかし、いざ完了してみると、お偉がたは、自らの「金ひり怪物」への崇拝を暴かれるのを恐れて、笛吹き男を虐待し始めました。 失意に沈む笛吹き男がメロディーを奏でると、町中の子供たちが集まってきて、黄金の光を発し始めた岩の裂け目に向かって次々と進んでいきました。 笛吹き男が立ちつくす前で、その岩は閉じました。これがエンデのお話です。
 さて、現代社会に生きる私たちの多くは、通貨の偽造という悪事に手を貸すことは稀です。 しかし、それでも私たちは、「金ひり怪物」の崇拝に陥った結果として、通貨の望ましくない使い方に手を貸していることがあるのではないでしょうか。 いわゆる「買いたたき」によって農山漁村・途上国の生産者を圧迫するという行為は、どの程度改善されてきたのでしょうか。 「こんな世の中は耐えられない」と子供たちがいなくなってしまう前に、大人たちは今一度、知恵と行為を結集する必要があるでしょう。
(山本直美)

BACK