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小さなダオ花 15

新年の挨拶
ヴィン君からの手紙
失敗重ねて「秘訣」手に
新生カンボジアを訪ねて
現代の若者の考えていること
あとがき



新年の挨拶

 私自身のベトナムについての知識は、無いといっていい程、乏しいものです。 そんな私たち(=こひつじ会)がベトナム人友好会に、 『小さなダオ花』の発行費、事務局関係費、グエン・タン・ヴィン君(ベトナム人青年)の奨学金資金に役立てられるようにと浄財をお届けし始めたのは、一つのご縁からでした。
 こひつじ会の活動は、細々ながら27年間続いています。 当初は看護婦さんの育成(聖母女子短期大学)を側面から応援していました。 看護職に対して一般の人たちがもっと深い理解を示してくださればと『灯火』という一冊の本を著したのもその頃でした。 その折寮長をしていらっしゃったのがシスター田中道子で、ベトナム人友好会のシスター田中悦子とご姉妹だったことからのご縁です。
 こひつじ会を始めた頃は、丁度経済は高度成長のさ中で、皆大きな流れに乗り、走っていたように思います。 どこかおかしい、どこか変だと感じ、そんな流れに逆行するかのように、 それぞれ自分の持っている一番いいと思うものを自分のためではなく必要としている人々のために役立てましょう、と始めたのでした。
 自分の一番素敵なもの・・・それは器用さだったり、センスの良さだったり、企画能力だったり、 暖かなほほ笑みをいつもたたえることだったり・・・さまざまです。 そして、器用な人が、自分のセーターを編むだけでなく、もう一枚寒さにふるえる人に編むことができたら、 その人はきっと豊かな気持ちになり、とても幸せになれるでしょう。
 自分の家族のためだけでなく、もっと目を外に向けて、いつも社会とのつながりをもっていることは、 自己中心的になり易い私たちにとって何より大切なことだと思うのです。 手がとても温かく、老人ホームにお手伝いに行ってよろこばれる方、カウンセラーになられた方、 お菓子を一人で何種類も作って近所の方々に買っていただく方、 ホームバザーをなさる方、それぞれ個々に活動し、集められた善意の浄財が役立てられています。
 「こひつじ会≠ニは言い難いわね」と言われるように高齢化している私たちですから、どこまで続けられるか分かりませんが、 ベトナム人友好会のシスターをはじめ皆様のひたむきな惜しみない愛の行動をお手本にしながら、今年もまた、ささやかな活動を続けたいと思っています。
こひつじ会 多田香澄


ヴィン君からの手紙

 多田さんへ

 こんにちは。お元気ですか。お手紙ありがとうございました。この前のベトナム人友好会の集まりではお世話になりました。
 今年の夏休みは、平日は午後からアルバイトをしています。 夜は学校の寮に帰り、友だちと食事を作って食べています。夏休みはすべて自分たちでしますから自炊ということになります。
 それから今回5日間だけベトナムへ帰る機会がありましたので、そのことについて話したいと思います。 今回は通訳として行きました。約10年間近く帰っていませんでしたので、すごく懐かしく思いつつ悲しい気持ちになりました。
 
 ベトナムは確かに今、以前よりすごく変わりましたが、それはただ町並みだけで人々の暮しはそれほど変わっていませんでした。 お金持ちの人もいれば、肩に荷物を背負って路上で物売りをしている人もいるし、一日何もすることの無い人もいます(仕事がないからです)。 なぜ日本とベトナムはこんなに違うのだろうか・・・・・日本はほとんどの家庭は生活が安定しているのに、ベトナムの家庭では、 僕の目から見れば安定しているとは思えません。 皆が一日一日を必死に生活しています。ある人は宝くじを売って一日を凌ぐためにお店を一軒一軒まわっています。 日本のようにお店に座って売っているのではありません。 日本では、売れても売れなくても給料は貰えますが、この人たちは、売れた分の何割かしか貰えません。 もし売れなければ、その日の収入はないのでしょう。 それから今のベトナムの人たちの一ヶ月の収入は、いろんな人に聞いて分かりました(仕事の種類にもよりますが)。 都会では、一般の人の月収は、日本円で一万円です。 そして田舎の人たちの収入は四〜五千円だそうです。 それで僕がびっくりしたのは、お店でCDプレーヤーがなんと約一万円で売られているのです。 日本では皆が簡単に手に入れるものが、ベトナムでは一ヶ月の収入に当たるわけです。 それでは家の車は何時になったら買えるのか、親戚の人に聞きましたが、一生働いても買うことは難しいとのことです。 バイクは、何とか買える人もいるそうです。
 今でもやはり、北と南の差はあります。例えば北の人と南の人が同じく働いても、北の人たちの方が多く貰えるのです。 怠けていても、議員の息子ならなお更です。そういう人たちが頭となっていたら、発展することは難しいし、決してベトナムは変わらないと思います。 一方は裕福なのに、他方では、一日を凌ぐのに精一杯の、まだ貧しい生活をしている人たちが多いのです。 これはベトナムに限ったことではないのです。このような状況の国がたくさんあります。
写真は、昨年の学園祭のもの。ヴィン君、ヘンドリクス先生、 そして12年前の卒業生コン君とそのお嬢さん。(編集部)
 今回わずか5日間でしたが、いろいろ勉強になり、経験もできました。今日はこの辺で筆をおきたいと思います。 また機会がありましたら、お会いしてお話ししたいと思います。 日本にもどってから、いっそう頑張る気になりました。 一日一日を大事に過ごし、何事もあきらめずに頑張ることです。今日の時間は今日しかないのです。
 これからもお世話になります。宜しくお願い申し上げます。お体に気をつけてお過ごしください。
グエン・タン・ヴィン


失敗重ね「秘訣」手に
わたし 地球に就職

ホーチミン

 午前7時半。すでに工場内はじっとりと蒸し暑い。木屑が漂い、揮発臭が強烈な空間で無数の男女が動き回る。 板にヤスリをかける人、ニスを塗る人。工場を取り仕切る増田暁生さん(36)の姿に一瞬手を止め、次々と頭を下げる。「オハヨウゴザイマス!」
 ベトナム・ホーチミン市から北に約25`。工場地帯のビンズオン省に増田さんの工場はある。98年に設立。 国営のゴム樹液倉庫だった1万3千平方bの土地に約800人が働く。年商10億円。前年比150%、170%とここ3年ほどの成長は目覚ましい。
 製品は米国や豪州、そして日本へ。 「海外でつくるから倒産するやつが出る」という日本の同業者の批判も耳にするが、「人件費の高い生産現場に勝ち目はない」との信念は揺るがない。
 静岡県焼津市の出身。大学を出て県内の材木商社に就職し、アジア担当に。中国や台湾を飛び回り、ベトナムで駐在事務所を立ち上げた。 夢中で働き、本社に「国営企業に機械を貸せば数百万円の利益になる」と提案した。 だが、全く動いてもらえず、逆に月数十万円の電話代をとがめられる。3年目に退社した。
リビングボードの仕上がりを確認する増田暁生さん=ベトナムで
 94年、不況に覆われはじめた日本人の関心が、投資ブーム前夜のベトナムへ向く。 増田さんは資本金300万円で木材の貿易会社を設立、現場のディベロッパーとして日本人とかかわった。 「絶対に増やせ」と数百万円の札束を渡す中小企業主、秘書の面接で女性のスリーサイズを尋ねる70代の男性社長・・・・。 「ぼろもうけ」をもくろむ人はやがて姿を見せなくなった。だが、「他人の金で『うまみ』を得ようとしたのは自分も同じだった」。
 そんな反省から97年、家具作りに本腰を入れ始める。 「機械を買わないか」と持ちかけられた大分の業者から、20馬力のエアコンプレッサーなどを計1500万円で購入。30人ほどを雇った。
 しかし経営は困難を極めた。日常的な停電に加え機械は動かす度に故障する。徹夜続きで納品したタンスの取っ手の位置が悪く、大量に返品される。 売り上げはゼロでも支出は百万単位で引き落とされていく。
 真夜中、息ができずに飛び起きるようになり、「自律神経失調症」と診断された。自宅の電気やガスは支払い滞納で年中使えない。 クレジットカード2枚を握りしめて銀行へ走り、キャッシングで200万円を引き出して従業員の給与を払ったこともある。 一息ついたら、今度は工場でストライキが発生。「軌道にのるまでは『地獄のような日々』だった」。
 それでも失敗は、ベトナムでのビジネスの秘訣を教えた。 優秀な人材を雇うこと、そのためには相応な給料を出して育てなければならないこと、 「担保」「手形」の概念がなく、現金がなければ運転資金も生み出せないこと・・・・・。
 独身で、ホーチミン市中心街のサイゴン川近くに構えた本社ビルの一室に暮らす。 「社員が何を話しているか、どんな雰囲気かを肌で感じていたい」から。ベンチプレスで体を鍛えるのも日課だ。
 今年8月、初の社員旅行を企画した。1泊2日の海水浴。従業員800人を乗せた大型バス15台が一列に疾走する眺めは壮観だった。 貧しい土地から出稼ぎに来た若い男女が水しぶきをあげている。「連れてきてよかった」と、心底思った。 だが工場を丸2日休んだ代価は大きい。「納期遅れのクレーム対応、3ヶ月たった今も追われています」と笑った。
高橋美佐子
[ベトナム経済]
 ベトナムは改革開放と自由化を進めるドイモイ(刷新)政策により90年代以降、経済成長を続ける。 この3年は年7%の成長率を維持。日系企業は10年ほど前から進出し、現在約400社(日本貿易振興機構調べ)。人口の3分の2が35歳以下で、若い労働力が豊かだ。
(朝日 新聞)@


新生カンボジアを訪ねて
松本 基子
(元難民事業本部相談室長・元大和定住促進センター所長)

 平成16年3月の10日間、カンボジア王国を訪問し、9カ所のNGO 等の運営する施設を視察する機会を得ました。 タイの難民キャンプ及び大和定住促進センターで接したカンボジアの人々の大きなトラウマを秘めながらの穏やかな態度に、その母なる国を知りたいと念願していました。
 この訪問の主目的は、駅頭等に放置されていて時が来ると鉄屑に潰される自転車を回収して、 カンボジアで孤児や貧困者を支援する団体に直接届けようとするプロジェクトの一員として参加することでした。 難民事業本部で難民相談員であった志賀ツヤ子さんが、発起人の一人です。 従って、普通の観光旅行とは全く異なり、カンボジア赤十字総裁のフンセン首相夫人臨席の贈呈式に始まり、 トンレサップ湖をめぐる国道5号線、6号線1,200kmあまりを、古自転車を満載したトラックと相前後しながら、 カンボジア赤十字社を含めた10カ所の施設を巡ってマイクロバスで走破することになりました。 この行程で多くのNGOの活動状況、収容されている人々の実態、この国の復興状況をある程度知ることが出来ました。
 回収した自治体の警告書が付いたまま、鍵が掛かったまま、こわれたままで、埃まみれの放置自転車を贈るということは失礼にあたると思っていた私は、 コンテナー2台分(約800台)が、どんなに有効に活かされているかを現地で知りました。 自転車が貰えることは、公共交通手段が皆無であり、通学、通勤、通院、買い物すべてに自転車が必要不可欠な地域の人々にとって、世界が拡がるということだけではありません。 壊れた自転車は修理の技術者の養成に役立ち、スポークの一本まで活用されています。 「次回は私を通して」「うちに廻してくれ」と、カンボジアの顔役から、暗黙の働きかけもありました。 何でも利権に繋がるので、直接手渡す必要があります。
 日本では、駅の周辺のどこにでも放置自転車があって、これが片づくのだから一石二鳥と思うのですが、 国外に輸出するとなると、運賃、税関等、解決しなければならない点が沢山あります。
 法的に問題のない自転車であること、集めた自転車の集積場所等、この度は市役所が絶大な協力をしてくれました。 また、コンテナーに詰め、船でカンボジアに輸送し、通関業務を済ませる等の協力をしてくれたのは、 難民として来日し、大和センターを経て日本に帰化して、現在は貿易商として成功しているO氏一族でした。 私が意識していたせいかもしれませんが、カンボジアで旅行社やホテルを経営したり商売を手広く行ったりしているのは、 日本から帰還したカンボジアの人が多いような気がしました。 アメリカから帰ってきた人は腰が落ち着かず、またアメリカへ帰ってしまうというような事を言う人もいました。
 私たちが訪問し、放置自転車の配布、ノートや物品のプレゼント、物品購入による寄金、交流などを行った施設の概要を記し、ご参考に供します。

施設名 主催団体(責任者) 活動の概要
CYR
幼い難民を考える会
(日本人女性) プノンペン市内の低所得者子弟の健全保育・識字教育。女性の自立支援(織機、縫製)。巡回保健指導。
CAPSEA (日本人女性) プノンペン市内の低所得者子弟の識字教育。巡回図書館活動。日本語教育。女性の自立支援(縫製)。
AAR,Japan
難民を助ける会
(日本人男性) 地雷被害者等心身障害者に対する職業訓練と文盲 に対する識字教育。車椅子工房は1年間に50名を 寮生活させて技術を習得させ、製品は販売もする。バイク・TVの修理、縫製、革細工のコースもある。
Veteran's International (米国のNGO) AARと同じプノンペン郊外の国営の福祉関連施設団地内にあり、義手・義足を製作している。国一番 の技術を誇っている。
COPHA (カンボジア人母子) プノンペン市内のスラムを追い出された5歳から12歳の要養護児童を教育。 殆どがTB・HIVの罹患児と孤児。高床式自宅の床下を施設として使用。
Home Land (カンボジア人女性) プノンペン郊外に各方面からの寄付により昨年建て替えた立派な養護施設(建物に寄付者の名が付いている)。 孤児、TB・HIV罹患児、親がタイに売り、送り返された児童を養育。
Home Land 2 (カンボジア人女性) 車で10分ほど離れた所の古い家屋で、HIVに罹患している未亡人になった女性に対し、 花ござ作り、糸繰り、織機りの技術を教えている。
KnK
国境なき子どもの家
国境なき医師団の教育部門が独立したもの。年齢制限で養護施設を出なければならず非行に走る子どもを見かねて、 15歳から18歳までの子どもの職業訓練を主目的とした男女別の施設をバッタンバンに。 英語等の特別の勉強をしている少数の若者のためには、プノンペンに「若者の家」がある。受刑中の囚人の識字教育と職業訓練も依頼されている。
ウナロム寺院 (日本人男性) プノンペン市内の仏教寺院。一角に図書館があり「よい子文庫・海賊館」と日本語で大書してある。 近隣の子どもに識字教育、日本語教育、四則計算等の教育を行っている。

 カンボジアといえば、有名な遺跡アンコール・ワット、アンコール・トム詣でが旅行社の目玉として企画されています。 そこへの道筋には、沢山の土産物屋が屋台を開き、幼い子供たちが巧みな日本語で商売の駆け引きをしており、日本からの旅行者の多さをうかがわせていました。 ポルポト時代を知らない子供たちにはすくすくと育って欲しいと願いますが、 貧困、病気、環境汚染、学校(教師)不足などなど、途上国の持つすべての悩みをかかえてもいます。
 上記以外のNGOも多く活躍しているでしょうし、そうしたNGOの働きが地味ながら着実な成果をあげています。 特に日本人女性が、地域にとけ込み明るくのびやかに働いていることは嬉しく、誇らしく思いました。 カンボジアにある日本のNGOの中には、1980年代に、 来日したインドシナ難民を援助するために設立されたという私たちにとって旧知の団体も含まれており、 社会ニーズに即応しながら息の長い積極的な支援を続けています。
 砂埃のもうもうと立つ街道に、黄色いミモザ、白いプルメリア、赤いブーンゲンビリアの並木が緑の木陰を作り、 街の入り口には仏像が立つという穏やかなこの国です。 しかし、ポルポト時代の混乱の中をかろうじて生き延び、親になった世代は、子どもに対する適切な愛育の仕方も知らず、 生活のために子どもを売ったり、棄てたり、虐待したりするという現実も目の当たりにしました。 社会的悪循環を断ち切ることの難しさを再認識した旅でもありました。
(本誌用に書き下ろし


現代の若者の考えていること
―主の祈り について―

○ 今日の授業の中で私が一番印象的だった言葉は、「罪をおゆるしください〜」という部分の解釈です。 自分自身の罪をゆるしてもらうかわりに人の罪を許すのではない。 どちらも全部ゆるしてくださいという意味であると理解すると、何かとても深い言葉に感じました。 他者の罪をゆるせる心を持てれば、 自然とおだやかでやさしい気持ちになっていくと思いました。 何の計算もなくそういう事ができる人になりたいと思います。

○ 私は高校からカトリックだったので朝礼と終礼には必ずこの主の祈りを毎日お祈りしていました。 普段生活していると、さまざまな不安や焦りから心にゆとりがなくなり、 他人どころか自分のことまでも見失い、気がつけば、誰かを傷つけていたり、また傷つけられることがありますが、 主の祈りを思い出すと、自然とゆったりした気持ち、神様に全て包まれている感じがします。 その気持ちを自分だけでなく、相手にも感じてほしいと願わずにはいられなくなるような不思議な気持ちになります。 愛に包まれ、神様との絶対的な結びつきを感じられる主の祈りは、私の心の片すみでいつも温かい光をはなってくれています。

○ 主の祈りについて学ぶのは今日で二回目でしたが、一回目にずいぶん理解できたと思っていたにもかかわらず、 今回、改めて多くのことを知った気がしました。キリスト教は、この大学に来てとてもなじみ深くなりましたが、 私の知る単語がキリスト教のなかでは違う意味を持つということを知りました。 例えば、一般的に言われる「罪」とキリスト教で意味する「罪」は似て非なるものだし、 私は、今まで理解していた意味がとても薄っぺらなもののように感じられました。特に「備えあれば憂いなし」と言われるのに、 しかも私の中では支えのことを常に考え備えるということは大切なことなのに、今必要なものだけを求めるという大切さを初めて知り、驚かされました。

○ 今日の授業で、普段意味など考えず、ただ単純に唱えてしまっている主の祈りに、 とても重要な、神と私たち人間の深い絆が表わされているのだということを改めて感じました。 主の祈りには、私たち人間に対する神様の無償の愛が、生まれた時から何があっても変わらない神様とのつながりが、そしてまた、私たち人間の弱さが込められている気がしました。 私たちはいかに弱い生き物であるかを認識し、また神様の愛の大きさに感謝しながら、この祈りを唱えていきたいと思いました。

○ その時自分が欲しいもの、必要なとするものだけを望むことが大切だということについて、感心してしまいました。 ずっと先の分も欲を出して望むのではなく、今必要とするものを望み、他の人々に分け与えられるように、という考えはとても大切だと思います。 この考えは、私がこれから生きていく生活の中に取り入れていきたいと思います。自分だけのことではなく、常に他人のためにも考えたいと思います。

○ 最も印象的であった言葉、それは"悪"であった。今世の中は、何が正義なのか悪なのか分からない状態にあるように思うのだ。 例えばイラク戦争。悪の国、と大国から指摘され攻撃される。しかし、イラク国民は悪なのだろうか。 私たち学生も、善の存在のように見えるが、その心の中には何があるのか。 主の祈りを唱える時、私たちは今日の自分かどうであったか振り返る機会を与えられているのかもしれない。

○ 私にとって最も心に残ったのは「私たちの日毎の糧を今日もお与えください」という言葉です。 私たちは、常に周りと自分を比べ、不安を取り消すために、とにかく人より多く、たくさん、何日も何年も先の保証がほしいのです。 今あるこの充分な環境では満足できず、ほしいものはつきません。 私たちは、先生のおっしゃった本当に生きるために必要なものというのを、おろそかに軽く考えているような気がしました。


 以上の文章は、白百合女子大学の宗教の授業におけるリアクションペーパーです。 これからも、宗教の授業で得たもの、考えたことなどが心の糧となって、皆さんが精神的に成長されますように、私たちは祈ります。
(編集部)

資料
 @ 朝日新聞 2004年11月5日


あとがき

 2005年を迎えた今、皆様といっしょに期待に満ちた喜びを分かち合いたいと思います。
 生きることを、そして幸福ということを考えさせられた2004年は、私たちに「人間とは何か」を考えさせながら過ぎ去っていきました。 世界にはまだまだ壁があり、国境を消し去ることが問題であることを見せつけられながら年を越したと言ってもよいと思います。
 今年は、何がどのように展開するのでしょうか。 学校で勉強したくてもできない子供たち、その原因は戦争であるか経済的な問題が、 いずれにしても私たちは何もしないで見過ごすことはできません。 一方、勉強する機会は与えられていても勉学の場には順応できず、拒否反応を起こす子供たちや青年たちを抱えている社会もあります。 さらに、学校や大学以外での情報が余りにも多いために、勉強の場に臨む前にすでに情報的知識によって満腹感を覚え 、学校、大学では知的にも身体的にも半ば眠った状態で過ごす人たちがいることについては何と言うべきなのでしょうか。 私たち人間にとって、求めているものに対して目を見開き、 知識欲を生かして一生懸命探求していこうとしている時が一番充実している「時」であり、人生の尊い瞬間でもあるのだと思います。
 世界の食糧事情を初めとして、環境問題や戦争と平和についての難問は短時間で解決するのは難しいことですが、 真剣に「人間」のことを考えれば遠い将来にこの問題を持ち越すことはできません。 小さな事でも今できることから、一人一人が責任をもって世界の不平等を少しでも改善するために働こうではありませんか。
 新しい年の自然現象はどうなっていくか、人間の世界はどのように動き、変化していくのか予測することは無理かも知れませんが、 大事なことは正義感や期待感と同時に現状に対する危機感をもつことだと思います。 ベトナムの方々から情報も多く取り入れるように勤めることによって、 私たちが学ぶ点を明確に見つめ、この新しい年には、日本の社会の一員として何ができるかをもっと勉強したいと思っています。
(中里昭子)

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