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小さなダオ花 14

故郷への恩返し
こんにちは
「生活」を学ぶ努力から
ベトナムの輝き10年撮影
NGOヴィエトニュース
現代の若者の考えていること
創意と工夫で貢献
前途多難
あとがき



故郷への恩返し

 ちょうど13歳の時に来日してから今年で24年目になります。 来日当時カンボジア王国は今から想像もできないような状況にありました。 私はしかたなく住居を転々とし、ようやく日本に来ることができました。
 当初は不安でいっぱいでした。言葉の不自由さ以上に生活習慣の違いや文化の違いにより、苦しい日々を送りました。 しかし、振り返ればそれは初めの数年間だけでした。 なぜなら今日の私があるのはたくさんの友人や先輩そして先生方の励ましのおかげで、苦しさを乗り越えることができたからです。 まわりの人々の温かさやぬくもりに触れることができ、幸せに思っています。
 子どものころから、生まれ故郷のカンボジア王国と私を温かく受け入れてくれた第二の故郷である日本との間で橋渡しになる役割を果たしたいという夢を持ちつづけてきました 。私は大学を卒業した後、機会に恵まれ(財)日本国際協力センターに就職することができました。 現在日本政府(JAICA:国際協力機構)の技術援助の一環であるカンボジア王国の公務員を日本に招へいし研修を行う事業の研究監理員として通訳などをしています。 微力ながら毎日仕事に励んでいます。
 カンボジア王国は長い内戦で社会基盤や大切な人材などがダメージを受けました。 1993年にパリ平和協定により国連カンボジア暫定統治機構のことで選挙が実施され、新政府が樹立しました。 現在カンボジア王国は国民が一丸となって一歩一歩国造を目的に励んでいます。
 しかし、カンボジア王国に国際的な援助は欠かせないものです。その中でドナー(提供)国として日本政府は人材養成や機材などを支援しています。 カンボジア政府は行政改革を行うなかで、地方分権を推進しています。 住民の生活と福祉の向上を目的とする地方公共団体を設立しようとしているのです。 この援助のためJAICAはカンボジア政府の内務省の職員を日本に招へいし、 広島県東広島市が研修の受け入れ先となり、地方公共団体の原点を理解するための研修を行っています。
 こうした中、カンボジア政府は地方行政管理法を制定し、2002年に史上初めての地方公共団体ができました。 その結果、1,621のコミューン(地方自治)評議会が発足し、
地方公共団体ができましたが、これらの機能はまだ十分発揮することができません。 むしろさまざまな問題に直面しています。特に人材の育成が急務となっています。
 日本の地方自治体でのJAICA研修はカンボジア王国の地方自治の確立と発展に寄与しています。 この研修には、近い将来カンボジア国民が、よりよい行政サービスを受けられるようになることに大きな期待が寄せられています。 また、地方分権を進めることにより末端の行政の声が政策に反映されやすくなると考えられています。
 私はカンボジア王国が平和な社会を楽しんでほしいとの願いでいっぱいです。 この事業を通して、生まれ故郷のカンボジア王国に対して一つの恩を返すことができると思うと、毎日の仕事を頑張ることができます。
クアン・ソン・ペイン(福原康太)@


こんにちは

 猛暑、そして台風となんだか気分にも影響してしまう。
 4月末、あるところへ難民の話をしに行った。場所がわかりにくかったので、少し遅れて到着した。 すると、目の前に変わった風景があった。約40人の若者が家の中から道路まであふれて、 地面に腰かけ話を聞いていた(学生デモのような風景)。話題は難民問題だった。 難民認定の厳しさや問題点などだった。 資料によると、2002年の難民認定数はアメリカがもっとも多く27,887人、タイでも558人、日本はたったの14人。 入国管理局に収容されている難民認定待ちの多くの方々は認められずに強制送還されている。 帰国させられれば命の危険があるにも関らず、政府の冷たさが伺える。
 現在西日本入国管理局に約24名のベトナム難民が収容されている 。彼らは犯罪を起こし、刑務を終え、送られてきた。在留許可が認められず、ベトナムに強制送還のために送られたのだ。 インドシナ難民枠で受けたものを強制送還しようという考えはおかしい。ベトナム政府と交渉中というが、長い人は2年も収容されている。(実刑より長い)。 彼らはいつになったら、社会に復帰できるのだろう。
 難民問題は世間にあまり知られていないと思ったがここに来たら、関心のある人がいたことが分かった。しかもほとんど若者だったので、少し希望の光がさしてきた。 難民問題は彼らの時代になれば良くなると信じたい。
タン・ガ A


「生活」を学ぶ努力から
見えない国境を越えて

 今、犯罪は増える一方です。日本に住む外国人が増えてきたこともあって、外国人の犯罪も増えました。 日本に二十年近く住んでいて、新聞やニュース、同国人のうわさなどを聞いていると、日本の法律はある意味で甘いと思います。 犯罪を犯す人が増えていくのはとてもつらいことです。 でも日本では窃盗は軽い事件として取り扱われるので、外国人にとって日本は犯罪天国のようなものです。
 アメリカでついこのあいだ強姦強盗がありましたが、アメリカの場合、強盗、喧嘩、そのほかの事件を重ね、強盗二年、何々一年と懲役を足していきます。 日本は「傷害」でまとめて何年。これは外国人だけではなく日本人に対しても甘い刑ではないでしょうか。 もともとの治安のいい国に戻れるように、人間の心も法律も変わったらいいと思っています。
 日本は本来生きやすい国だと思います。言葉が分からなくても職業を選ばなければ会社に入れます。 アメリカは経験がないと入れません。日本ではとにかく入れて、 実際に組み立てなどのやり方を見せて教えるのです。 月十二、三万の給料ですが、安い団地に住まわせてもらい、そうすれば夫婦二人で働いて相当の金額がベトナムに送金できます。
 日本に住むのに大変なことはもちろんたくさんあります。 誰でも言いますが、まず言葉の問題。漢字がありますから難しい。勉強するチャンスは少ないです。 ベトナムから難民として品川国際センターに入所し、わずか四ヶ月の日本語の勉強と簡単な習慣を学んで就職です。 一生懸命勉強したいと思う人は、夜勤しながら続けようとしますが、疲れてほとんどできません。日本政府はその後は何も援助しません。 でも真面目に努力していれば日本の教会やボランティアグループやその他、奨学金などで応援してくれます。

 私は、船での脱出に何回も失敗し、姉が当時、日本に留学していたので、 その姉が五人分のチケット代を借りて呼び寄せるかたちで、すべてのものを取られて着のみ着のまま、両親と兄弟三人の五名で日本に来ました。 でも個人で来た難民ケースになったので、 いっさいの援助はなくセンターにも入れませんでした。 二十年前の1980年代のはじめのころのことです。私はそれまで学生だったのですが、 すぐに働き始め、夜は日本語の勉強をし、朝八時から夜十時まで、三年間働きづめでした。 そうしながらなんとか日本の社会に溶け込むよう努力して、生活の基盤を築いたのです。 ベトナム語の名前は、ボテオ・ホアン・ミー。 夫もベトナム人ですが、帰化して高柳です。 夫の両親が外国にいるので、両親になにかあったときすぐに行けるように、また子どもの将来のことを考えて帰化したのです。
 ベトナム人は真面目で勤勉です。昔はそうでした。今は真面目な人は真面目で、その性格は変わりませんが個人差が大きいです。 プライドは高い。上司に何か言われてもすぐに抵抗します。たとえば組み立ての仕事。 ベトナム人は頭はすごくいいです。教えられたことは日本人は指示通りにします。ベトナム人は早い方法を考えます。 でも、早く終わったからといって何もしない。上司があっちを手伝いなさいと言うとイヤですと答える。私もそうでした。
 仕事を早く終わらせて休んでいると上司が別のところを手伝いなさいと言う。なぜしなければいけないのか。毎日口答えをしていました。 でも見ていると日本人は終わると違うところを手伝います。それが日本の社会なのかと思いましたが馴れるのに半年ばかりかかりました。 こういうことを乗り越えないと失敗します。ベトナム人は会社で上司や担当の人とよく喧嘩になります。 そのときそのときのことしか考えないので首にされてもいいと思うのです。 そして、安い賃金だからやめる、重労働だからやめる、と云います。生活基盤ができていないのですから、 そんな選択はできないはずなのに。これが日本に限らず、外国でもうまくいかなかった理由ではないかと思っています。

 でも残念ながら、我慢して生活基盤を作る努力をするのではなく悪いことを考えてしまう人も多い。 日本の社会は、どこでも道路に自動販売機が置いてあります。 便利だと思いますが、でもこれは持ち逃げしやすいように金庫を道路に置いているようなものです。 お店も、通りすがりにサッと持っていけるような陳列で持ち逃げしやすい。 一度持ち逃げに成功すると人間の心は弱いので続けてしまう。 もう少ししっかりした防犯システムを取り入れない限り、外国人に限らず日本人でも犯罪を犯してしまう。
 先日、子どもが障害者になって働けなくなった女性のために、彼女が住んでいる地域での生活保護申請を手伝ったのですが、ひどいことを言われました。 でも仕方がない部分もあると思いがまんしました。 周りに日本人が住むなかで多くの問題を起こして、役所に苦情がたくさんいっているようなのです。 そのとばっちりを受けたのですが、問題が多い地域になると、もともと住んでいた日本人が逃げ出してしまうのではないかと心配です。 日本に住む以上、できるだけ地元の人と一緒に生活していったほうがいいと思うのです。 子供たちは日本語が上手になるのですが、両親は長く日本に住んでいて勉強する機会もあったのですが、 その機会を利用しなかったり、楽ですから同国人のコミュニティだけで生活したり、 親子のコミュニケーションが難しくなって、深刻な問題も多くなったのです。 もう少し努力して地域の人とコミュニケーションも持つようにしていくことが大事だと思います。
 何事にも自分自身の努力がまず必要だ、というのが私が強く感じていることですが、ただ悪い人はどこの国にもいます。 外国人が犯罪を犯したら目立つので、すべての外国人が悪いと思われてしまうのですが、 そういう私たちを「悪いことをする外国人は嫌いだ」という目でみてほしくない。 そう思います。でも、そう見られても仕方がない、という思いも同時にしてはいるのですが。
高柳ミー B


ベトナムの輝き10年撮影
杉並在住の外山さん 新宿・ハノイ

 約10年にわたってベトナムの撮影を続けている写真家の外山ひとみさん=写真=が、ハノイと都内で写真展「ヴェトナムの光と風」を開催する。 日本大使館やベトナム日本商工会などが協力し、日越外交関係30周年記念イベントとして両都市で順番に開かれる。
 外山さんは杉並区在住。アジアや女性をテーマに雑誌などに作品を発表している。 94年にホーチミン市から中越国境の町、ラオカイの間を友人から借りたオートバイを使って縦断往復するなど、毎年のようにベトナムを旅しながら写真を撮り続けてきた。
 今回の写真は、ハノイでは現地日本食レストランなどの協力を得て、約100点を同市内の「チャンティエン展示館」ギャラリーで、 都内では約75点を新宿のコニカミノルタプラザで展示する。 写真展にあわせて約10年分の写真やエッセーを交えた「ベトナム颱風(タイフーン)」(新潮社)も出版される。
 外山さんは「多くの人に混沌としたベトナムのエネルギーや風景の移り変わりを感じて欲しい」と話している。 〔ハノイでの開催は14日〜20日。 東京での開催は29日〜12月9日午前10時半〜午後7時まで(最終日は午後3時まで)。問い合わせはコニカミノルタプラザ(3225-5001)へ。〕
(朝日 新聞)C


NGO ヴィエット ニュース

 各地の豪雨で多くの被害や犠牲が出てしまいました。自然の力は人間の想像をはるかに超えています。 大震災を経験した私はその痛みや大変さがよく分かります。一日も早く復興できるように願っています。
 最近、学生・研究生などの方々がよく来られます。 ベトナムについて(在日ベトナム人コミュニティ、ベトナム難民、在日ベトナム人の暮らしなど)興味をもったとか、論文を書くため、研究をするためといった目的です。 ベトナムに興味を持っていただいてありがたく思っています。同時に自分の発言の重みや責任を大変感じています。
 訪問者には若い学生もいれば、経験豊富な医者・先生・教授・学者・公務員などもいます。 対応していて何時も思うことは、自分の思いや考えが他のベトナム人と同じとは限らないということです。 その上、出身地や年齢・住む地域・自分が受けた経験なども違うので、他の人とまったく違う意見になるかも知れません。 例えば私は主に神戸で活動しているので、神戸のベトナム人コミュニティはあまり大きな問題がなく、割合安定していると思っていますが、他の地域では状況が違うかもしれません。 だから、私にインタビューをして「在日ベトナム人の生活は安定している」と思われたら困ったことになるかもしれませんね。
 ですから最近、「論文を書くため」に来る学生にはできれば少し活動に関るようお願いしています。 短時間のインタビューでは全部分かるはず無いからです。自分が関って経験したこと・感じたことをできるだけ忠実に書いて欲しいと思っています。
タン・ガ D


『現代の若者の考えていること』

○ 人を愛するというのは本当に難しいとあらためて思いました。 口だけで愛の言葉をささやくのは簡単ですが、本当に真の自分を受け入れ、心から愛してくれる人というのは少ないと思いました。 うわべだけの愛を見て、喜んでいるのではなく、家族や隣人が愛してくれる真実の愛を感じ取り、 それと同じようにあるいはそれ以上に自分も愛することが大切なのだと思います。
 人からの愛を受けるということを考えた場合、まずは自分が本気で誰かを愛し、その人の全てを受け入れる器を持つことが一番大事だと思います。 また自分が本当に人を愛することができるなら、自分も愛を得ることができ、うわべだけでなく真実の愛を見つけることができると思います。 私の知らない世界があることも知らされています。 これからもっと大きな世界を見るように努力したいと思います。

○ 今の日本は何でも物があって、高校や大学も多くの人が行けて物質的には幸せに慣れているように思いますが、欲しくない物でもなんとなく持っていますし、 学校もどのくらいの人たちが真剣に勉強せずに通っているかわかりません。 在日のたくさんの子供たちが勉強したくてもできないというお話を聞きました。
 何かしたい!と強く思う気持ちは自分を含めて多くの人が持っていると感じます。 飢えを感じることもなく、清潔できれいな所で暮らせて学校にも行けることを感謝しなければと思います。 これらのことは頭の中では分かっているのに甘えてしまっているのだと思います。 ある時、この地球の別の場所のことに興味を持って見ることができれば何かが変わるでしょう。

○ 『私たちは神から生まれるのを望んでいます。福音のもっとも深い秘密は、 神が、私たちが愛から生まれるのを望んでおられるということです』という言葉に接しました。
 私たちが、愛をお与えになった神から生まれるというのは大変すばらしいことだと思います。そして、私たちは、神から無償の愛を与えられることになったのです。 私たち人間は、愛し、愛されることによって生きることができるのだと私は思います。
 人間は愛されることによって優しくも強くもなれるものです。愛は私とってかけがえのない大切なものなのです。 愛することはとても大切で、それと同時に愛されることも求めるのです。このプリントには様々な大切なことが書いてあったと思います。 このような私の知らない世界を知ることができることは私の大きな喜びです。

 ○ ほんの少しの愛情をもらうだけで人生、人の気持ちは変わる。それが人間だということだ。 人間は愛なしでは生きていけないと言うが、本当に我々はお互いに愛を与えているからこのように人間が存在しているのだと改めて感じる。
 人に優しくされたら自然に自分にも優しさが芽生え、次に自分も人に優しくできるようになる。 このように人の愛が次にまたその人の愛を育てるのだと思う。 日本人の間だけではなく、日本にいる多くの外国人に同じように優しくできるように、そして広くは世界中の人たちのことを考えて自分の糧にしていきたい。

 以上の四個の短編は、星野正道神父様が白百合女子大学の「宗教」の時間に本誌「小さいダオ花」を交えて講義を行われた際、最後の約10分間、 学生に書いてもらったリアクションペーパーの一部です。 若い学生の中に芽生えたこの純粋な心が、生涯にわたって生き続けることを願ってやみません。(編集部)


創意と工夫で貢献
難民にメガネ贈り20年

 メガネを手にした難民の顔が喜びでくしゃくしゃになった。「こんなにはっきりと文字が読める」。「手のひらのしわまで見える」と涙する人もいたという。
 難民の自立には十分な視力が欠かせない。教育を受けたり、刺繍など細かな手作業などを行ったりするためだ。
 札幌市に本社のある富士メガネは、83年、タイにいるインドシナ難民にメガネを贈る活動を始めた。 翌年から国連難民高等弁務官事務所とともに支援を本格化させた。
 39年設立。地元では老舗のメガネ店だ。 北海道以外にも東北、関東にチェーンを展開する。04年2月の売上高は約84億円。
 創業から3代目の社長の金井昭雄さん(61)は、「ドクター・オブ・オプトメトリー」の学位取得で渡米した際、インディアンにメガネを贈る事業に参加した。 これを契機に支援を始めた。 「オプトメトリスト」とは視力と視機能を検査し、最適なメガネを提案する仕事だ。
 メガネは、ただ贈ればいいというものではない。「各自の目を調べ、最適のメガネを選ばねば意味がない」。 合わなかった場合は帰国後に作り直して、送り届ける。
 先進国とは異なり、原地の環境は難しい。風土病感染があり、シャワーは雨水をためただけ。言葉の壁も厚い。それでも根気強く活動を続ける。 事業はブータン、アルメニアにも広がり、贈ったメガネは9万4千本を超えた。
 金井さんばかりでなく、社員約70人が現地に出向いた。その社員の一人は、「よく見える、と話す笑顔に感激した」と話す。  
 アフガンからの留学生はムハマド・サディク・モビビさん(28)とワヒド・トキンさん(23)。ムハマドさんは中部バーミヤン近郊の出身。 15年前、自宅が爆撃された時に負傷し、足が不自由だ。「周辺の山には今も地雷が残る。障害者も多いのに、支援がない。 彼らが働いたり自立したりするのは難しい」と話す。
 南部カンダハルから来たワヒドさんは「アフガンでも義肢は作られているが、技術が十分ではない」と言う。 「カンボジアは混乱から安定した国だし、ほかにも国づくりの途上にある国からの留学生がいる。 彼らの経験を学ぶことは精神的な励みになる」とも語った。2人は10月に入学、3年間学ぶ。
 カンボジアでも地雷や不発弾の被害は続いているが、内戦終結から10年以上がたち、地雷撤去や義肢製作の技術が向上した。 学校には義足利用者が通う診療所もあり、実習も経験できる。先進国にはない「利点」を生かすのが留学生受け入れの狙いだ。
(朝日 新聞)E


前途多難・・・・ 
ベトナム証取所開設 八か月

 ベトナム初の証券取引所がホーチミン市に誕生して約八ヶ月。だが開場は週三日、上場企業数は五社にとどまり、前途多難な市場経済化を象徴するかのようだ。 来月十九日に開幕する越共産党大会でも、経済改革は大きな焦点だ。(ホーチミン市で 奥村健一)

 ホーチミン証券取引所は、社会主義体制下での市場経済化を図る「ドイモイ(刷新)」政策の一環として、昨年七月下旬に開設された。 取引開始以来、株価は軒並み二倍以上に上昇、売買高も当初の三倍以上になった。政府は年内にもハノイに証取所を開設する。
  しかし、取引の現実は、活発と呼ぶのに程遠い。旧国営企業の施設を転用した建物が証取所。トレーディングルームにはコンピューター十四台。 上場企業は電気や通信、食料輸出入関連などの五社。取引は月、水、金曜の午前九時から一時間だけ。 時折かかる電話にトレーダーが対応する以外静かだ。
 証取所の周辺を地元民は「ウォールストリート」と呼ぶ。現実には証券会社数社があるだけだ。
 近いうちにもう一社の証券会社が参入する予定だが、既存七社は取引量が少なく赤字が続く。上場には財務状況の公開が必要なため、地元企業は消極的だ。 証取所のチャン・ダク・シン所長代理も「法体系の未整備など課題も多い。取引が本格化するのは早くて二、三年後」と苦戦を認める。
 ベトナムの経済改革は失速気味だ。約五千四百社の国有企業は国内総生産(GDP)の四割を占めるが、八割が赤字と推定される。 政府は株式化による競争力強化を促しているが、株式化したのは昨年末で五百数社にとどまる。 国有企業の民営化も、安定雇用を望む従業員らの反発で進んでいない。
 来月の党大会では、「証券市場の発展」「国有企業の経営体質強化」「民間企業の育成」を盛り込んだ政治報告が採択される。党大会では、次期書記長人事も扱われるが、 「だれがトップになっても変わらない。改革への熱意と速度が問題だ」(タイのベトナム研究者)との観測がもっぱらだ。
(読売 新聞)F


資料
@ 「定住新聞 こんにちは」(難民事業本部発行)2004年2月号
A 「NGOヴィエトニュース」(NGOベトナム in KOBE発行)19号
B 「あけぼの」(女子パウロ会発行)2003年7月号
C 朝日新聞 2003年11月13日
D 「NGOヴィエトニュース」20号
E 朝日新聞 2004年10月14日
F 読売新聞 2001年3月27日


あとがき

 今年の夏から秋は、日本各地で、例年になく自然の脅威が感じられました。 東京では、連続真夏日の更新、急速に深まる秋、そして台風による暴風雨、震度4の地震などがありました。 全国レベルでは、台風のための家屋倒壊、床上浸水、停電、また収穫前の農作物の被害、飢えた熊の下山などが深刻で、 命の危険をひとまず回避した後も生活の不自由を痛感する人々が少なくありません。まずはこの場を借りて、被災者の皆様にお悔やみ申し上げます。
 ただ、ここでは「わざわい」の別の側面について考えたいと思います。

 あなたがた富んでいる人たちは、わざわいだ。慰めを受けてしまっているからである。あなたがた今満腹している人たちは、 わざわいだ。飢えるようになるからである。あなたがた今笑っている人たちは、わざわいだ。悲しみ泣くようになるからである。(ルカ福音書6章24-25節)

 ここで示される「わざわい」の一つは共感する心≠フ欠如だと考えます。 富むこと、満腹すること、笑うことは、それ自体が悪いというわけではないでしょう。 しかしそれらは、貧しい人、飢えている人、悲しんでいる人を身近に感じようとする心性を弱める可能性をもつことは確かです。 これに対して、自らも貧しさ、飢え、悲しみを経験してきたと自覚し続ける人は、共感する心≠ノ基づき、必要なときに必要な行動をとれるのでしょう。 9月末、台風による豪雨が三重県海山町を襲ったときのこと、7月に豪雨被害を受けたばかりの福井県から数十人が、週末の災害ボランティアとして駆けつけたそうです。 「福井豪雨でお世話になったから」と言いながら。こうした共感に基づく行動の過程で、人は、別の意味での「富」を得ることになるのでしょう。
 ベトナムから難民として来日した人々もまた、政変等の「わざわい」ゆえに、故国を離れ不自由な生活を強いられてきた人々です。 さて、私たちは、こうした人々に対して共感する心≠もち続けているでしょうか? 私たちは、無関心であり続ける中で、 ほかならぬ自分に対して自己中心的な心≠ニいう別の「わざわい」をもたらしてはいないでしょうか?
(山本直美)

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