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小さなダオ花

憩いの場をつくりたい
神戸常盤短期大学
海の桂林ハロン湾 
社会主義ラオスに新潮流   
石郷岡建のグローバル・アイ   
B・C級戦犯の遺書57年ぶり里帰り 
あとがき  



憩いの場をつくりたい
ソン リスレン(伊佐リスレン)さん 在日20年・カンボジア
 こんにちは、カンボジアは、みなさんがよく知っていることは、日本から行ったPKOですね。 そして、有名な遺跡は『アンコールワット』です。 みなさん、一生に一度は是非訪ねてください。 かなり、人間がつくったものとは思えないすばらしいものです。是非行ってみてください。
 私は20年前に日本に来ましたが、その頃は、日本人にとって、外国人は、物珍しい、 かなり、学校などでは、ワット集まる時代でした。 その頃は自分でよかったと思っています。 今になって、外国の人が、先ほどの「あーすフェスタかながわ」の実行委員の話しでは、 十三万五千人ぐらい神奈川県にいるそうですが、神奈川県は、国際社会といわれているほど、外国人が増えて変わってきたと思います。
 カンボジア人は、神奈川県内に千人ぐらいいるかと思います。 その中の難民の人たちは、20年前から来日してきています。 その中の問題は、子どもと親のいろいろですね。 日本には難民として来られたわけなので、当然、学力の問題があります。 国では大体3割ぐらいしか識字率はありません。つまり、読み書きできる人は、半分に満たないのです。 まして日本語を勉強するということはかなり大変な苦労だと私は思います、、、、、。 私の場合、日本語は日本に来てからです。 まず、大和定住促進センターで約6カ月勉強しまして、その後は定時制で勉強しました。 つまり、夜間中学、夜間高校と勉強しました。 勉強をなさってない人は、日本語は多少話せますが、子どもと比べて、習得の速さは10倍から30倍ぐらい違います。 ですから、親の方が子どもの言葉を理解できないということが現状です。 理解できないということから、壁を作ってしまい、だんだん、コミュニケーションが取れなくなってしまいます。 いろいろなトラブルが起きるというのは多くの家族に見られます。
 そのためにも皆さんにご協力いただきたいことがあります。 当然自分たちで、考えなくてはいけないことですが、日本で生活していくには、 日本社会を日本人と同じくらいに理解しないと、自分の自由がなくなってしまうのではないかと、 日本は素晴らしい国で、一人ひとり豊かな生活を送りたいというのは、多分、皆さんそれぞれ思っているかと思うのですが、 日本の方と外国人の相互理解をしないと、いろいろなトラブルが起こります。 要するに外国人の方が、特に難民の方が、かなり知識が低い、マナーが悪いと言われます。 ただマナーが悪いというのではなく、それを理解していただかないと、外国人と現地人と差別にまで至っているかと思います。 
 日本にいる約千三百人のカンボジア人が会う場所というか、何か情報を教える場所がないというのが現状です。 私にとっては場所を提供していただきたい、自分たちで場所をつくるのと運営するのはもちろん、無理なので、 そのために県や国から応援していただきたいと思います。 その場所で何をするのかというと、さっき言ったように、日本の社会の教育とか、 自分の国の情報交換、日本においての生活情報を、 日本人と同じように生活していける拠点にしたいというのが、自分の率直な気持ちです。 国際社会の相互理解は、そこからスタートだと思っています。素晴らしい生活を送りたいということです。
 自分たちも頑張りますので、みなさん応援してください。ありがとうございました。


神戸常盤短期大学

 現在、神戸常盤短期大学に在学している高橋明星(トラン・ティ・キム・ホエ)さんに、 今までの学校生活で感じたことや、受験勉強などのことについてお話を伺いました。
中学校のころから日本人の友達が多かった高橋さん(写真左)
 学校生活
 ベトナムからボート・ピープルとして来日した両親の元で、1984年に私は広島で生まれ、 現在は両親と兄と妹の家族5人で兵庫県姫路市に暮らしています。 私が通っていた姫路市の小学校は、国際交流が盛んな学校で、給食の時間に世界各国の音楽を流したり、 韓国の人を招待して民族衣装のチョゴリや、民族舞踊をみせてもらったりしました。 先生からアオザイ(ベトナムの服)を持ってきて欲しいと頼まれ、教室でベトナムについて紹介してもらったこともあります。 そのときは恥ずかしくもありましたが、注目されて気分がよかったことを覚えています。 同級生にせがまれて、家でベトナム料理を振舞ったことも度々ありました。
 中学生のときから通称名を使っています。 これは、いろいろな手続きの際に、日本名であると書類が1まいですむところを、 カタカナの名前だと何枚も必要になる場合があるために、両親が決めました。 しかし、私は外国人であることを隠しませんでした。 自己紹介の時には、必ず「私は外国人です」と自己アピールするのです。 すると同級生は私に関心を持ってくれましたし、自分でも外国人であることを自慢しているところがありました。 だからいじめなどの苦労をする事がなかったのだと思います。
 学校で戸惑ったことは、授業参観や運動会、遠足に行くときです。 こうした行事に初めて参加するときは、行事の内容が分かりませんでした。 日本生まれで言葉に不自由なく、授業でも困ることはなかったのですが、 学校行事のことは両親は何も知らないことだと分かっていたので、学校で配られるプリントを見たり、 友達に聞いたりして自分で解決していきました。
 受験勉強
 私は大学別に入試問題の傾向があることや、受験勉強にもいろいろな方法があることを知りませんでした。 学校で学んできたことだけが入試問題で出題されると思っていたのです。 そのため、受験勉強は学校で授業をしっかりと復習し、授業で使う問題集を繰り返し解いたことだけでした
 そして、分からない問題があると先生や友だちに聞いて習得していったのです。 塾があることは知っていましたが、両親にお金の負担をかけたくなかったので通いませんでした。
 高校選びや受験制度については分からないことが多かったです。 進路相談で先生にどこの高校を希望しているのかたずねられても、高校がどこの場所にあって、 どれくらいの偏差値であるのかさえ分かりませんでした。 ただ、家庭でも兄が受験を済ませたことで、少しは理解してくれる環境にありました。 特に7歳上の叔母が、いろいろな相談にのってくれたことや、担任の先生が熱心に指導してくださったことで乗り切れたのだと思います。

 大学進学
 大学進学については、以前から両親が医療系に進んでほしいという希望があったので、 当時の担任の先生に相談したところ神戸常盤短期大学を紹介されました。 小さいころから学校の授業でも実験が好きで、自分には検査をするような仕事がむいていると思いましたし、 将来は両親の身体も診てあげたいと思ったからです。
 衛生技術科は3年制で、臨床検査技師の養成を目指した学科です。 日々の講義や実習では、血液検査やガン細胞などの細胞検査について学んでいます。そ して将来は臨床検査技師となり、病院や検査センターに勤務して、血液や尿、組織をもとに行う検査などの仕事に就くことが目標です。

 以上は  ていじゅう(難民事業本部ニュース 2003.3.1)から抜粋させていただきました。 このように難民事業本部をはじめ、ボランティア団体、事業所、学校などの支援活動に支えられてインドシナ難民定住者は生活の基盤を築き、 共生の輪を広げています。しかし、一般の方々の中にはこのような問題があることを知らない方も多いと思います。 希望のない親たちの生活を見て、人間的に安定のない生活をしている大勢の若者にも目を向けなければならないでしょう。 今後とも皆様のご協力をお願い申し上げます。
(編集部)


海の桂林 ハロン湾
世界遺産

 ベトナムきっての景勝地: 街の喧騒がまるで嘘のように感じられる静まり返った海面と奇岩が織りなす絶景

 ベトナムには、全部で4つの世界遺産がある。 しかし、ハロン湾以外には全て 遺跡や旧王朝の王宮。このことからもわかるように、ハロン湾はベトナム随一の景観を誇っている。
 ハロン湾はベトナム北東部のトンキン湾の中にある。ハノイから約180キロ。 およそ1500平方キロメートルの中に2千とも3千ともいわれる島と奇岩が海面から突き出している。 10年ほど前に公開されたカトリーヌ・ドヌーブ主演のフランス映画『インドシナ』をご存じだろうか。 ハロン湾は、映画のロケ地となり、その美しさを遺憾なく発揮した。
 「ハロン」とは「龍が降りた土地」を意味している。 その昔、外敵の侵入に悩まされていたところ、龍の親子が降り立ち、敵を打ち破って宝玉を吹き出した。 それが奇岩となり、その後、奇岩が海からの外敵を防いだという伝説が残っている。 
 神秘的な雰囲気に満ちたハロン湾には、こんな伝説がよく似合う。 クルーザーで湾に出てみれば、さざ波ひとつたてずに静まり返る、深いエメラルドグリーンの海面に驚くだろう。 船のエンジンが止まると静寂に包まれ、まるで時間さえ止まったようだ。 目の前に広がるのは、屹立する大小さまざまな奇岩の群れ。まさしく「海の桂林」だ。
 これらの島や奇岩は、鍾乳洞があったりトレッキングコースが設けられているなどバラエティーに富んでいる。 そしてこのクルーズ中に出会うのが、湾内で漁をする漁船や水上生活者の舟。 しばしばどこからともなく現れ、取れたての魚介類を売りにやってくる。 クルーズの主流は奇岩や鍾乳洞を周遊するものだが、クルーズ船によっては、小舟から買った魚を船上で料理してくれるものもある。
 極上の景色の中にたゆたいながらのんびり過ごすことは、なんとも贅沢なひとときではないか。
(ジパング倶楽部より 2003.2)


社会主義ラオスに新潮流
国挙げてポップス奨励

 社会主義ラオスの音楽界に新しい潮流が生まれつつある。 これまで政府は、有名歌手を情報文化省の専属にして伝統歌謡の維持、普及に努めていたが、ポップス奨励に転じた。 外国文化流入による伝統破壊を警戒していたラオスがなぜ、ポップスに理解を示したのか。 背景には、音楽文化によってラオスの内政、外交を強化したい思惑が見え隠れする。  
【ビエンチャンで小松健一、写真も】
盛り上がるコンサート
 今年1月18日、サバナケット県の陸上競技場。高校生のアレクサンドラ・ブンスアイさん(16)が舞台に立つと、 約3万人の歓声がどよめいた。歌い終わったアレクサンドラさんに大勢のファンが駆け寄り、サインを求めた。
 英字紙ビエンチャン・タイムズの文化担当記者、 ソムサック・ドゥアンパンヤさん(27)はアレクサンドラさんのコンサートを遂一報道する「追っかけ記者」の一人。 コンサート会場に数日前から寝泊りするファン、サインを求めて殺到するファン、、、、、。 「ラオスの音楽界で初めての現象だという。「ラオスの音楽文化のルネッサンス(復興)」。 ソムサックさんはアレクサンドラさんの存在をそう呼んでいる。
歴史を再評価し、ビエンチャン市内に建立されたファーグム王の像
 アレクサンドラさんの父はラオス国立音楽・舞踊大学副学長。 母は同大学のブルかリア人のピアノ教師。音楽一家の英才教育を受け、抜群の歌唱力と音楽センス、 西洋的な顔立ちのルックスがラオス人の若者を魅了し、昨年8月にデビューしてあっという間にラオスを代表するスーパースターになった。
 コンサートでは自らバイオリンを奏でる。今や若者の間でバイオリンブームも起きている。 歌手のソムサック・フンサワンさんは、 「ラオスの女性歌手になかった声の力強さが特徴的。 バイオリンを取り入れるなどラオス音楽に新境地を開いた」と絶賛する。 アレクサンドラさんと同じ高校に通うリラー・ウドムさん(16)も「タイや欧米のポップスのコピーではない、オリジナル性がある」と語る。
 従来、静止画像でコマーシャルを流していた国営テレビは、 アレクサンドラさんがダンスを披露する動画の清涼飲料水メーカーのコマーシャルを流し始めた。 情報文化省はアレクサンドラさんが所属するプロダクション「ラオ・アート・メディア」と提携して、麻薬撲滅キャンペーンを展開。 アレクサンドラさんはコンサート会場で「歌は人生を豊かにします。麻薬は人生を破壊します」と訴え続けている。 文字通り、国家挙げてアレクサンドラさんのニューミュージックを応援している。

外国音楽認め自国文化再生
 1994年にタイ・ラオス国境のメコン川に橋が架けられて以降、タイの物資が急激に流入し、 ラオス経済はタイ通貨バーツ経済圏に組み込まれつつある。 メコン川沿いではタイのテレビやラジオ放送が受信でき、正用や日本のポップスを取り入れたタイの最新音楽が人気を集める。 政府は国営ラジオでタイ音楽を禁止していたが、タイ文化の影響力は強まるばかりで、 若者の間ではタイ語を交えた会話がファッションとなっている。
 タイのチュラロンコン大学のトゥリシン・ブーカチョン助教授は「タイ文化の流入によって、 ラオス政府は国民、とりわけ若者の国家への求心力低下を懸念していた。 音楽の自由な演出は、ラオス音楽の誇りを若者に持たせ、ラオス人としてのアイデンティティー再生の試みだ。 アレクサンドラさんは若者の心をつかんでおり、貴重な存在になっている」と指摘する。
 ラオス政府は今年1月5日、14世紀に国家を統一したファーグム王をたたえる旧ランサン王朝650年記念式典を行った。 1975年社会主義で打倒した王制を評価する国家行事は初めてのことだが、これもラオス人の愛国心を鼓舞し、 国民のアイデンティティーを確立する運動」(外交筋)と位置付けられ、音楽界の異変もその延長線上にあるとも言えるようだ。

対外イメージ向上の思惑
 アレクサンドラさんの活躍は昨年10月、米政府の海外ラジオ放送「ボイス・オブ・アメリカ」でも取り上げられ、 今年6月には米国のラオス人社会を回ってコンサートをする。 10月にはタイで開催される日本と東南アジア諸国連合(ASEAN、10カ国)のポップソングフェスティバルにラオス代表として出演する。
 ビエンチャン・タイムズ紙のソムサックさんは「これまでASEANの各種交流行事を取材しても、 東南アジアの若い人ですら、ラオスがどこにあるか知らない人が多かった。 アレクサンドラさんの活躍でラオスの知名度が高まる事を期待している」と話す。
 ラオスは04年にASEANの議長国となり、首脳会議や外相会議など外交行事のホストを務める。 アレクサンドラさんは国民の求心力と対外イメージ向上の役割を今後も担いそうだ。
歌手◆アレクサンドラさん
若い世代にメッセージ
 ――ポップスの歌手になろうとした動機は?
◆ラオスでは伝統歌謡が中心でした。いい歌なのですが、若い人はどこの国でもポップスが好き。 私はタイのコピーでもないラオスのポップスを歌いたかったのです。若い人たちに私の歌を聴いてもらいたかった。 歌い始めたときはそんな気持ちでした。ラオス人が誇れる新しい音楽発展のためにいろんなことにチャレンジしたいですね。

 ――タイでは西洋音楽と同じようなポップスが盛んですが、タイのポップスとの違いは?
◆私は純粋のラオス人として歌えるポップスです。子どものころからバイオリン、ピアノ、クラシックを学んできましたが、 ラオスの伝統音楽にそうした知識を生かすことをずっと考えていました。
コンサートでもポップスだけではなく、伝統歌謡や踊りも取り入れて、 私のポップスがラオスの伝統音楽を基礎にしていることを強調しています。 ラオスの人々が、私が新しい音楽文化の扉を開けることを応援してくれて、とても感謝しています。

 ――ラオスの政府も応援していますね。
◆情報文化省の大臣をはじめ、皆さんが私のファンです。 昨年、バンコクのラオス大使館で文化庁行事があった時、私も出席して歌ったりして、ラオスの新しい音楽を紹介しました。 私の将来の夢は外交官になって、海外にラオスの文化を伝えることです。

 ――これほどのブームになると思っていましたか。
◆全く予想していませんでした。コンサートで毎日2万から4万人の人が来てくれます。
プロダクションの社長が「歴史的出来事だ」といつも言っています。 コンサートが終わると、ファンの方々がステージに殺到して、サインを求めてくるのは怖いけど。

 ――最近は麻薬撲滅を呼びかけていますね。
◆ええ。これだけ大勢の人々が来てくれるので、若い人たちにメッセージをつたえたかったのです。 麻薬だけでなく、スポーツ大会のセレモニーで歌う時は特別のスポーツソングを歌います。 勝っても負けても全力を尽くしたのだからくよくよしないで、という歌です。
ラオスの若い人たちが手を携えて励まし合い、社会や国の発展の基礎になれば、との思いで歌い続けたいですね。


 複雑なタイへの感情
 ラオスは1353年にランサン王国として統一されが、その後王国は分裂し、 18世紀にタイ属国になった。19世紀末にタイの支配から脱出し、フランスのインドシナ連邦に編入され、1953年に独立。 75年に人民革命党の社会主義政権が誕生したが、冷戦終結後、社会主義陣営からの支援が減り、タイの経済的影響を強く受けている。
 ラオスでは00年春、タイの人気女性歌手、ニコールさんがタイのテレビ番組でラオスを侮辱したとして、反タイ感情が高まった。 ニコールさんは侮辱発言を否定したが、一時は両国の外交問題にまで発展した。 タイの音楽や娯楽文化が浸透しているゆえに、タイへのあこがれと反対が重なる複雑な国民感情がある。
 同様の感情は、タイの経済進出が著しいカンボジア国民の間にもあり、 カンボジア政府内では「タイはカンボジア文化を駆逐してしまう」との危機感が強い。 ラオス、カンボジアとも、タイ文化流入に対して、どう独自文化を守り発展させていくかが大きな問題となっている。
(毎日 新聞 2003.5.19 )


石郷岡建のグローバル・アイ
外国人労働者受け入れ

 鎖国日本は「化石国家」に
 老人介護の病院を経営する友人が東南アジアに出張するという。目的は老人介護の技術者を日本に呼ぶ可能性を探るためだ。
 「老人介護を日本人だけではできなくなる時代がやってくる」と友人はいう。 日本社会の少子化・老齢化は急ピッチに進み、放っておけば3人に2人が老人となる。 しかも、生活・医療水準の向上で、平均年齢は高まるばかり。2025年には老人100人に対し、介護者は4人という村も出現する。
 老人ばかりになった社会では、誰が面倒を見るのか?介護関係者がひそかに胸の中で思っている深刻な問題だという。 フィリピンは自国の労働者を世界に派遣し、その出稼ぎ費用で国家財政を支えていることで知られる。 医療関係の技術者や労働者は欧米、台湾など各地で活躍している。
 そのフィリピンのアロヨ大統領は、昨年末、小泉純一郎首相との会談で、介護労働者の受け入れ問題を提起した。 日本側は難色を示した。「日本人の職が失われる」「言葉の問題がある」などと、厚生労働省、法務省が反対したのだ。
 「日本の老人は日本人が面倒をみるのが原則だが、それでは人件費が高くなり、 貧乏人は面倒を見てもらえなくなる。それでもいいのか?」と友人はいう。 問題の背景には、「経済の自由化」とか、「グロバリゼーションの促進」とかいいながら、 かたくなに民族の「純粋性」を守ろうとする日本社会がある。
 北朝朝鮮から脱出する難民、いわゆる「脱北者」問題でも、日本はほとんど難民を受け入れていない。 過日日本に住んだことのある元在日朝鮮人でさえ受け入れていないのが実情だ。
 とはいっても、労働力不足は深刻だ。日本経団連の奥田碩会長は昨年「610万人の外国人労働者受け入れ構想」を打ち上げた。 日本に住む外国人労働者を約10倍増する計画だ。実は、そんなこといわれなくても、すでに日本社会への外国人の進出は始まっている。 そのことを劇的に示したのが相撲界だ。今年の初場所の優勝力士は序ノ口から幕内まで6人のうち5人までが外国人だった。
 さらに、日本各地の飲食店やバーなど膨大な数の外国人が働いている。しかもその多くは入管法違反の非合法労働である。
 アジアは21世紀に入り、大きく変わり始めた。各地で自由貿易圏構想が動き出した。 日本は労働市場の鎖国状態を解き、アジアの若いダイナミックな競争に触れなければならない。 さもないと「化石化」に転落する。外国人労働者の流入は大きな問題を抱える。 だが、積極的に取り組まねばならない時代がやってきた。
(専門編集委員)(毎日 新聞 2003.5.19)


B・C級戦犯の遺書57年ぶり里帰り
ベトナムで処刑 米国保管の15通、遺族に

 第二次世界大戦後、B・C級戦犯としてベトナムのサイゴン(現ホーチミン)で処刑された旧日本兵の遺書15通が、 米国から日本に届き、遺族への返還が始まった。 戦後57年ぶりに相次いで親族の手元に渡る。 毎日新聞が昨年末、遺書が米国に保管されたままになっている事実を報じて以来、遺族らが返還を求めていた。
【亀井和真】
 米国在住の歴史研究家、グリーン誠子さんが昨年3月、ワシントンの米国国立公文書館で発見した。 戦争犯罪に疑問を投げかけたり、祖国の繁栄を願う内容が、戦後の占領政策に影響しかねないーなどの理由で、 遺族に渡されず米国に送られていた。 米国大使館を通じて遺書を受け取った外務省は、6日に厚生労働省に一括送付。 同省は遺族の住む各県の援護局に送った。15通のうち、遺族が判明しているのは14通。
 大槻富夫さん(当時31歳)を失った弟の登さん(76)=京都府綾部市=のもとには、既に遺書が郵送で届き、 「ただ『処刑された』とだけ知らされた兄が直接したためた遺書が戻ってきて感慨無量」と話した。
(毎日 新聞 2002.11.12)


あとがき

 夏から秋にかけて、星空を眺めながら星座を見つけたり、星の名前を覚えたりした昔の都心の空は、もう戻ってこないのでしょうか? 一方では、戦争に巻き込まれて「星」どころではないという生活を余儀なくされている人々がいることも世界の現実ですが、 本当の平和も造りだせないのでしょうか。
 生活をより一層便利にするために、文明の発展を目指して人間が努力することを誰も拒否してはいません。 しかし、いつも私たちは危険と背中合わせだということも承知しているつもりです。
 最近のニュースからも分かるように、人や社会を護るために新しい法律が定められると必ずといってもよい程そこから抜け道が考えられ、 その犯罪を防ぐためにさらに細かい法律を考え出さなければならなくなるようです。 人は、自由を求めながら自分で自分を不自由な状況に追い込んでいるのではないでしょうか?
 町が発展して、皆が気持ちよく楽しめるようにと考え、ビルを造り店を出しても、 それが単に利益を上げるのが目標であれば、結果は脱税であったり犯罪の原因ともなったり危険な事故にも繋がり、 人を幸せにする「場」の現実は望めないでしょう。 しかも挙句の果てに、街や店は防犯カメラが必需品ともなれば、プライバシーの侵害にもなり兼ねないことが発生するでしょう。 私たちは、人間本来の自由を大切にしているのに、自分の行動の全てではないとしても、 知らないうちに撮影されていることは、不快な気分にさせられます。もちろん防犯の必要性も理解できますし、 何らかの証拠をえるために、仕方がないと言ってしまえばそれまでですが、 残念と言うか淋しいというか、人間の良心はどうなってしまったかと思っているのは私たちだけではないと思います。
 アジアの兄弟姉妹と一緒に生きていく日本人一人一人が、先ずは「よき隣人」となるために、 人間の根源にたちかえって新しく歩き出すことが、21世紀の日本には望まれていると思います。 謙虚に人々に接し、現実を見つめ、責任転換をせずにアジアの中でどんな存在になればよいのかを考えながら、 小さなことから実行に移し、これからも皆で協力していきたいと思っています。    
(中里 昭子)

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